濃淡つけず、ほとほどに生きる。/菜根譚・前集29,41

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私のお薦めテレビ番組NHK「100分de名著」。

今月は中国明代の古典「菜根譚」が取り上げられている。

中国の古典から好きなものを一冊選べと言われると、

「老子」と「菜根譚」で迷う。私にとってそんな一冊。

というのが菜根譚について紹介した直近の記事。

淡い味わいの料理は飽きが来ず、後を引くものだから、

人生も無欲に淡々と生きるべき、という教えだった。

今日はそれだけではダメ!という続きのような話を2つ。

まずは前集29項から。

憂勤は是れ美徳なり。

太だに苦しめば、即ち以って性に適い怡ばしむる無し。

澹泊は是れ高風なり。

太だ枯るれば、則ち以て人を済い物を利する無し。

仕事に邁進することは美徳だ。

だが度が過ぎれば、身心が疲弊してしまう。

さっぱりとこだわりがないのは、高尚な気風だ。

だが度が過ぎれば、淡泊すぎて役に立たない人間となる。

次に前集41項。

念頭濃なる者は、自から待つことに厚く、人を待つこともまた厚く、処々皆濃なり。

念頭淡き者は、自から待つこと薄く、人を待つこともまた薄く、事々皆淡し。

故に君子は居常の嗜好は、太だ濃艶なるべからず、また宜しく太だ枯寂なるべからず。

念入りな心の持ち主は、気がきくがややひつこい。

淡泊な心の持ち主は、さっぱりしているが無頓着すぎる。

だから君子はその間、中庸を大切にすべきだ。

先に紹介した前集7項と後集25項は、

「足を知る」に代表される老荘思想の考え方。

それだけでは独りよがりの心の悟りに陥る恐れもある。

そこで孔子の「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」

という教えを組み合わせ、社会貢献への道を切り開く。

それが今回の前集29項と前集41項の話になっている。

菜根譚はこうして古典を自在に編集した随筆集だから、

「中国五千年の人生訓を集大成」と名高い傑作なのだ。

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