西欧発の幸福論はたくさん読んだ。→☆読んだ本と振り返る2008年(08/12/30)
でも、そういえば、日本固有の「しあわせ」観ってなんだろ?
と首をひねったとき、禅僧で芥川賞作家の書いた、この本に出会った。
日本人の「しあわせ」は、西洋的なHappinessのように数値化できない。
では、日本人本来のしあわせ観とは何か?
日本人にとっては、咲きにぎわい、相手の行動に合わせることが『さいわい』であり、『しあわせ』の原型。(P21)
為合わせ(奈良時代)
私がすることと、誰かのすることが合わさる。最初の誰か(相手)は、天。
仕合わせ(室町時代)
相手が天ではなく、人間に変わった。
人と人との関係がうまくいこくことを「しあわせ」と呼んだ。
さいわい
語源は「さきわい」。にぎやかにいろいろな花が咲いている状態。
また著者は「むすんでひらいて」の歌をからめて、こう語る。
概念や思い込みを結びやすい我々の頭やこころをまずひらいて、そして相手や状況に応じて「仕合わせる」ことが、本来は日本人の「しあわせ」だったのではないか、と私は考えています。(P182)
私は、ロジックを積み上げる論理的思考とか、二者択一的な○×が大嫌い。
☆走りながら考える(10/07/05)、何かの犠牲の上に成り立つ未来なんて…(10/07/18)
私が間違ってるのかな?と少し悩むこともあったけど、モヤモヤが晴れた感じ。
ロジックでがんじがらめに結んじゃうより、開いた状態でゆらいでいた方がいい。
欧米で嫌われる「混沌・カオス」は、東洋では命が生まれる源なんだから。
他者の振る舞いと合わさって、思ってもみないことが起こり、その巡り合わせを楽しいと思った。本来の日本人が感じる「しあわせ」というのは、そういうことだったのではないでしょうか。(P111)
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コメント
まろさんのブログの一ファンです。
ずっと好きでブログを読ませていただいていました。とってもユニークで面白いとおもいました。
理が流れない所に、利を築くことは難しい。
理に逆らう力が無ければ、そういうことも困難でしょう。
できれば、理と利が一致すると言うのが、一番力が出るんだと思います。
理と利が重なる事を祈っています。
ただ、これはとてつもなく難しい事ですね。
ありがとうございます。
どんな切り口にしろ、相反するように見える2つの考えがあって、どっちかを捨てたりしちゃダメなんですよね。相反する2つを抱きしめたうえで、新しいものを生み出すことが大事。
「中庸」だとか、日本的に言うと「間を大事に」って感じでしょうか。難しいですね。