外国人の目に日本はどう映ってきたのか?
おもしろかった本をピックアップして簡単な年表にしてみた。
いくつか印象に残った文章を紹介していこう。
安土桃山時代のフロイス、幕末のシュリーマンの両者ともに、
日本人女性の教育水準の高さにおどろいた、という記述が目をひく。
「われわれの間では女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。」
---ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」P54
「教育はヨーロッパ文明国家以上にも行き渡っている。シナを含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。」
---シュリーマン「シュリーマン旅行記 清国・日本」P167
よく考えてみれば、清少納言「枕草子」や紫式部「源氏物語」など、
女流文学がこんな時代から存在する国は日本ぐらいでは?
ちなみに今回リストアップしたなかで唯一女性の視点での本が、
夫が日本の英国大使館に赴任していたキャサリン・サンソムの著書。
「富士山はむしろ夢であり、詩であり、インスピレーションです。久しぶりに見た瞬間、心臓が止まってしまいました。それほど美しいのです。富士山が日本人の想像力と美的感受性に強い影響を与えている理由がよくわかります。」
---キャサリン・サンソム「東京に暮らす」P12
私はこの記述で日本文化にとっての富士山の重要性に気付かされた。
ちなみに著者が日本で暮らしたのは1928~37年。
太平洋戦争の間際だが、意外にのどかな情景が描かれている。
そして一番、日本の本質に迫ってるなぁ、と感じさせられたのが、
旧ソビエトの政治記者、フセワロード・オフチンニコフ。
無宗教と勘違いされる日本人の宗教は「美の崇拝」と指摘。
「日本列島の自然に内在するところの、予知し得ない自然の災害の絶え間ない脅威は、この民族に環境の変化に対してきわめて敏感な心を形づくった。仏教は、この世の無常というその愛好する主題を、それに付け加えた。このふたつの前提条件は、ひとつになって、日本の芸術を無常の謳歌へとみちびいたのである。
時間の経過にともなう変化を喜び、あるいは、それを悲しむ心は、すべての民族が生まれながらにもっている。しかし、永遠に続かないことのなかに美の源泉をあえて見たのは、おそらく日本人だけであろう。日本人が、ほかならぬ桜の花を国花に選んだのは偶然のことではない。」
---オフチンニコフ「一枝の桜」P82
[番外編]
ドナルド・キーンを年表にのせるべきかちょっと迷った。。。
あそこまでいくと日本人だし、震災後に日本国籍もとっちゃったから。
私が好きな本は、
- 司馬遼太郎との対談集「日本人と日本文化」
- 足利義政を美学の英雄と称した「足利義政と銀閣寺」
- 兼好法師「徒然草」英訳を手がけた「Essays in Idleness」
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