脇屋友詞「厨房の哲学者」

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30代前半の頃、たまたま近くに用事があった帰り道、
あの脇屋シェフの店がこんなところにあるんだ!と出会い、
赤坂の「トゥーランドット 臥龍居」でランチをいただいた。

当時の私は街中華ぐらいしか食べたことがなく、
「中華料理ってこんなに美味しいものだったんですね!」
とお店の人に伝えたところ、なんと脇屋シェフが登場。

「料理の鉄人」の影響で、私の中で中華料理の料理人と言えば、
陳建一さんと脇屋友詞さんだったので、超大物が!と驚いた。

そして本来はどれか一つを選ぶはずの、
蟹炒飯、担々麺、貝出汁麺のすべてをふるまってくれた上に、
なぜかその日のまかない料理のカレーまで食べさせてくれた。
とても幸せな時間を過ごした記憶が強烈に残っている。

なんでそんなに大盤振る舞いをしてくれたのか分からない。
でもたぶんあの体験が、ただ美味しい料理を求めるのではなく、
料理人に感謝と敬意を、と最初に認識させてくれたのだと思う。

そんな脇屋シェフが料理人人生50周年を機にまとめた一冊、
脇屋友詞厨房の哲学者を読んだ。

  • 占い師の父親の気まぐれ?で、中学卒業後すぐに中華料理店で働き始める。初めはとにかく嫌だったが「三年必死に頑張ってそれでもダメだったら、なんでも好きなことをしていい」という母の言葉で踏みとどまる。
  • 十代でたまたま出会った、武者小路実篤の「この道より 我の生きる道なし この道を歩く」が座右の銘。
  • 厨房で少しでも高い地位を得て、自由に料理をしたかったから、20代前半まで何度も働く店を変えることで腕を磨いた。
  • 立川のホテルで自身はじめての料理長に就任。従来の大皿盛りのスタイルを改め、一人分ずつ皿に盛って提供するコースメニューで、郊外の中華料理店を人気店にした
  • ニューヨークへ進出するも、すぐにリーマン・ショックが起きて撤退。次の挑戦が赤坂の「トゥーランドット 臥龍居」。ただ物件の契約が東日本大震災の直前。一番苦しい時期だった。(私はちょうどこの時期に訪問したのか!)
  • 昨年末、銀座にカウンター8席のお店をオープン。従来よりも客との距離を近づけて料理をふるまっている。

銀座のお店に行ってみたいな。
夜出かけるのはあまり好きじゃないけど(寝るのが早いから)、
17時スタートならなんとかなるだろうか。

厨房の哲学者
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