サブプライムローン問題に続くユーロ危機という現在の混乱は、
偶然の飼いならしに失敗し、ブラックスワンが羽ばたいた結果とも言える。
いつからなのか?
偶然を「まぐれ」のまま放っておけなくなったのは?
確率・統計を駆使して「偶然を飼いならそう」としはじめたのは?
そしてどのようにゆがんでいったのか?
そんな疑問に答えてくれるのがこの本。難解だが重要だ。
ピーター・バーンスタイン「リスク」と併読すると理解が深まりそう。
現時点で理解できた範囲で、いったんまとめておこう。
ヨーロッパは長らく、この世は普遍的な自然法則にしたがっているはず、
といういわゆる「決定論」に支配されていた。(宗教的な影響か?)
偶然について考えること自体が、神々への反逆であり、バカげた行為。
そんな社会的背景をひっくり返すきっかけになったのがナポレオン。
「統計は事物の予算である。そして予算なくしては公共の福祉もない。」
1800年に統計局を設置。国家運営に統計学を持ち込んだ。
そしてナポレオンの失脚と共に、彼が集めさせた大量のデータが流出。
ハッキング曰く1820~40年の「印刷された数字の洪水」によって、
「決定論の浸食」が進み、無視されてきた偶然がむき出しになった。
大量のデータを統計学で編集し「偶然の飼いならし」が完成する。
この流れのなかで人間自体も数理の対称となり、差別論が生まれる。
平均的なものが「正常」とされ、平均からの逸脱は生物学的に「異常」。
やがてこれはナチスのユダヤ人虐殺の科学的根拠にもつながっていく。
ハッキングは最終章でチャールズ・サンダース・パースに光を当てる。
「偶然の飼いならし」によって、社会と人間を統制したかのように見えたが、
他方では「たまたま」や「まぐれ」を再認識される時代がやってきた。
このことをパースを紹介して説明しようとしているのだ。
「我々の抽象的な探求能力は、進化の産物ではあるが、せいぜい我々の生存に有利にも不利にもならないものに過ぎない。そこで、そう考えるよりも我々は、精神の能力が宇宙の自然法則の進化と平行して進化するものだと考えるべきである。我々が自然法則を発見できるのは、自然法則も我々の精神も同じような仕方で進化してきたからである。パースはこれを「進化する愛」と呼んだのである。」(P317)
偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命
(1999/06) イアン・ハッキング |
コメント
まろさん、初コメントです。
ナポレオンのころから、歴史を紐解くと、
行き詰ってきた現在のシステムの変遷が見えてきそうですね。
「偶然を飼いならす」読んでみたいなぁと思いますー
ついに初コメントきましたね。
MBA的な理論に触れてなんじゃこりゃ?と混乱し、どこからこんな変なものがはじまったのか探りたくなっちゃって。哲学や思想的にはナポレオンよりもう少し前のデカルトあたりからかな。このあたりがまとまっているかと。
http://www.pixy10.org/archives/1218018.html
しかしどこまで世界を編集すれば、投資の話に戻ってこれるのやら。偶然を起点に、生物学や物理学にまで、どっちらかってます(苦笑)