澄んだ水に月が宿るように…/一休宗純の名言

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アニメの一休さんは架空の存在。
禅僧・一休宗純は型破りな人物で自ら「」を名乗った。
「悪」と称された歴史上の人物に近いかもしれない。

そんな一休の遺した名言をいくつか。

今日ほめて明日わるく言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中。

良いことも悪いことも無常迅速に流れゆくもの。
しなやかな水のように生きることが大切ということだ。

そして仏もまた、水のような存在。

彼の一仏は、水の器物に従うがごとし。陰陽寒熱の因によりて、種々変ずるがごとし。

釈迦が「仏とは虚空であり、水中の月である」と述べて以来、
仏教では月に仏や真理を見る、という言葉が多く残される。

一休もこんな言葉を遺している。

大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし。

澄んだ水に美しい月が浮かぶように、澄んだ心の中に仏が宿る。

もちろん生きていく上で清濁併せのむ心の広さも必要だが、
できうるかぎり清く生きていきたいものだ。

我はこれ何者ぞ、何者ぞと、頭頂より尻まで探るべし。探るとも探られぬところは我なり。

探っても探れないところに、「私」というものがある。
意識は幻想にすぎず、内側に「私」を見つけることはできない。

この世のすべては関係性のなかで記述されていく。

世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来。

一遍の「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。」と同じだ。

でも人が本質的に孤独だから、幸せはあなたと私の「間」にあるのだろう。

日本人のこころの言葉 一休
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