中世の月食は不吉。でも西行は月が好きだから見たい!

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先日の皆既月食は空が雲に覆われていてまるで見えなかった。

外に出れば見えるかな?と図書館へ本を返却するついでに出かけてみると、
多摩川の堤防の上に人があふれていた。
昔の人があの光景を目にしたら、さぞかし驚くだろう。

西行(1118~90年)の和歌に皆既月食を詠んだものがある。

忌むといひて 影にあたらぬ 今宵しも 
われて月みる 名や立ちぬらむ

忌むべきものと言われる月食の月の光にも当たらないようにする今宵、
強いて月を見るのはおかしいという評判が立つだろうか?

月見が大好きな西行が、不吉とされた月食にも興味を示す様子が分かる。

当時は月食を「月蝕」と表記。
「蝕む(むしばむ)」という字が現すとおり、縁起のよいものではない。

以下の論文によると、

当時の人々は日蝕ほどに恐れている様子はないが、
月蝕御祈、月蝕読経などで月蝕の影響を逃れようとした記録が残る。
ちなみに同時代の日食による大混乱と言えば源平合戦が有名

平安時代の中頃までは月見自体が不吉とされていた。

おほかたは 月をもめでじ これぞこの
積もれば人の 老いとなるもの

月の満ち欠けが積もり積もることが老いの象徴。
だから月を愛でるのはやめた方がよい、と在原業平は詠う(古今集879)。

「春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の『月の顔を見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。」(竹取物語

「今は、入らせたまひね。月見るは忌みはべるものを。あさましく、はかなき御くだものをだに御覧じ入れねば、いかにならせたまはむ。」(源氏物語・宿木巻)

しかし平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、
勅撰和歌集に収録の月を詠った和歌の数が急増する。

ちょうど月にまつわる和歌を多く残した西行が生きた時代と重なり、
いつの時代も好奇心旺盛な人が世の中を変えるものなのだね。

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