クロワッサンをサクッとかじる。
この三日月パンの来歴はハッキリしないようだが、
かつて西欧を震撼させたオスマントルコ帝国と関係があるらしい。
(クロワッサンを食べてトルコとの戦いに勝とう!みたいな)
イスラム教の神聖な儀式であるラマダン(断食月)は、
ヒジュラ歴第9月に三日月が現れたのを確認してからはじまる。
ちなみにメッカに隣接して建てられた76階建ての超高層ホテル、
メッカ・クロック・タワーのてっぺんには巨大な三日月(写真↓)。
そんなわけでイスラム教の象徴と言えば三日月なのだ。
ところでイスラム教は日本にいつ伝来したのか?
ペリー来航までの日本は世界文化の受け皿の立ち位置にいた。
それなのに日本史にはイスラム教がほとんど現れない。
日本人の月好きの歴史は以前編集した。→月の日本史
約20万首の和歌が収録された和歌データベースで、
「三日月」が詠まれた和歌を検索してもたったの14首。
銀閣寺や桂離宮も満月の運行に合わせて設計されている。
日本人は三日月には特別関心を抱いて来なかったのだ。
となると戦国時代に気になる2人の人物がいる。
すぐに思いつくのは、伊達政宗の兜に輝く三日月。
もし支倉常長率いる慶長遣欧使節団をトルコに派遣していたなら、
政宗がイスラム教を知っていた可能性も考えられたけど…。
もう1人は山中鹿之助。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」 と三日月に祈りをささげた。
彼の尼子家再興活動はテロリストっぽい雰囲気もあるが…。
三日月だけでイスラム教の日本伝来は探れるわけないか(苦笑)
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