善悪二元論で世界を読み解くことなんてできない。
そもそも善悪の境界はあいまいで、正義の定義もままならない。
「善=神」「悪=悪魔」から離れられないのも原因だろうか。
日本では平安末期に「悪」と呼ばれた人物がいる。
- 悪左布(藤原頼長)
- 悪源太(源義平)
- 悪七兵衛(藤原景清)
この時代の「悪」とは、
- 人知を超えた異様な力を持つもの
- この世ならぬ力に動かされているもの
を意味していた。
また鎌倉時代に「悪」と見なされたものが興味深い。
地頭・御家人の所領を基礎とした農業中心の幕府の経済政策と
平清盛以来、徐々に日本へ浸透しはじめた貨幣経済とぶつかる。
利潤や利子を追求する商人や金融業者は、この時代の「悪」だった。
すなわち、常識や権力の外側にいるものが「悪」。
「知性の限界」と出会うと「悪」とくくって安心する。
人はそんな生き物なのかもしれない。
コメント
日本では、「悪」も禍津日神(まがつひのかみ)だったり、荒神のような感じかな。
自然の脅威の象徴・・・そういうとてつもない力という意味の「悪」でしょうか。
日本の神話でいうとスサノオは「悪」なのか「英雄」なのか微妙な扱いですね。
自然の脅威と悪といえば…
ヨーロッパでは1755年リスボンが大津波に飲み込まれたとき、ヴォルテールとルソーが「悪とは何か?」議論した形跡があります。
自然災害は神が自らの「善」を肯定するために自然に潜ませた「悪」ではなく、人の心が生み出した「道徳的な悪」である、というルソーの主張が優勢、って感じなのかな。
過去の武士の世界においては、悪○○と呼ばれるのは必ずしも不名誉
ではないみたいですね。仰るとおり、常人離れした力を持った畏怖
される存在ということなので、自らの力を持って事を起こし、社会を
統率する者にとっては、恐れられるくらいでなければ務まらない。
特に戦国乱世のような下克上当たり前で争いも激しい時には尚の事。
個人的にはスサノオは「悪」であり「英雄」でもあるという印象
ですね。英雄の定義なんていい加減なものですし(笑)
今でも「チョイ悪」とか良いイメージで使われたりしますね。
でも、これはさすがに昔のなごりではないかな。。。