サヴァン症候群・共感覚と私自身の謎

最近、共感覚に興味を持って下記のような本を読みあさっている。

なかでも興味深かったのがジェイソン・パジェットの体験談。

ジェイソン・パジェット「31歳で天才になった男」

31歳の時に暴漢に頭部を強打され、サヴァン症候群共感覚を併発。
事件後、目に映るあらゆる物が幾何学的な図形に見えはじめる…。

そして自分の身に起きている現象は一体何なのか?
ネットで調べたという様々な症例が非常に興味深かった。
というのも共感覚に興味を持ったきっかけが、

「吉田さんは共感覚者なのでは? 文字に色が見えたりしないですか?」

こんな問いかけをされたことだし、
14,5歳までの私にサヴァン症候群に似た症状があったから。

著者の紹介している症例の中で特に目を引いたのが、

僕が見つけた唯一の女性のサヴァンは、ナディアという名の子どもだった。彼女は1970年代に美しい馬の絵を描き、あまりのすばらしさに、レンブラントやレオナルド・ダ・ヴィンチの作品と比較されたほどだ。しかし、英国の心理学者ローナ・セルフによれば、ナディアは話せるようになると、絵画の才能を失ってしまった。

生まれつき欠如していたごく普通の能力が得られるとともに、
人とは違った特殊能力が失われていくという経緯がまさに私と同じ。
やはりサヴァン症候群は他人ごとではない気がする。

岩崎純一「音に色が見える世界」

共感覚については今までまったく意識をしたことがなかった。
ただ文字に色が見えるという岩崎純一の本に面白い記述があり、
万葉仮名とひらがな、カタカナに見える色が一致するというのだ。

幼い頃から特別に古文を読んでいたなどということはなく、むしろ外国語を徹底的に学習するような場に中学・高校・大学と自ら身をおいていたわけであって、それでもなお仮名や漢字に対する共感覚が揺らがないところに、後天的な知識以前の、私の日本人男性としての遺伝的な規定や風土から出る体質を、私の共感覚の中に感じとるのである。

ふと気になるのが古い言語には色を表現することが言葉が少ないこと。
古代ギリシア詩人ホメロスが描いた「イリアス」「オデュッセイア」や
古代インドの宗教詩「ヴェーダ」には色に関する記述がほとんどない。
日本でも時代はだいぶ後になるが「古事記」も色彩豊かとは言えない。

もしかすると古代人は普通に共感覚を持っていて、
あえて色を表現する言葉など必要なかったのではないか?

そして文字に頼ることで失われていった脳の機能が、
サヴァン症候群に現れる驚異的な記憶力であったり、
世界が色づいて見える共感覚なのではないだろうか?