龍安寺の石庭

どうしても生で観てみたかった、龍安寺の石庭。
縁側の両端と真ん中に20分くらいずつ座って眺め、約1時間。
写真と生はだいぶ違って、まさに百聞は一見にしかず、とはこのことだと思った。

日本の歴史や文化に触れていると「未完の美」や「不足の美」がキーワード?
という印象を持っていて、水をなくした枯山水庭園もこの一種かなと思っていた。
各自が水を感じることで、心の中で庭として完成する、みたいな芸術品かと。

でも実際に間近で眺めると、解釈どうこうのものではなくて、
なんかこう頭が空っぽになるというか、なんにも考えられない不思議な感じ。
きっと魅せる庭、というより、心を落ち着けるために造られた庭なんだ。
「美」で測るものではなくて、これが「禅」の世界ってものなのだろうか?

コメント

  1. 京都人 より:

    どの角度からもすべての石が見えない、水を感じる、といったことは、すべて後付けだと私は思います。
    まろさんが感じてこられた「無」こそが本質。素晴らしい感性だと思います。

  2. まろ@管理人 より:

    ありがとうございます。
    京都旅のおかげで感性がちょっぴり身についていれば嬉しいですが…。せっかく暇なので、そっち方面を大切にしたいです。