前方後円墳は「鍵穴型」という捉え方をすると、
円墳部分が前で、方墳部分が後の「前円後方墳」に見える。
※ちなみに英訳は鍵穴”Keyhole-shaped tomb”
なぜこの名称になったのが?
江戸時代の儒学者、蒲生君平(1768~1813)が「山陵志」の中で、
垂仁から敏達天皇までの古墳の形態を
「必ず宮車に象る。而して前方後円となさしめ、壇ををつくりて三成とし、かつ環らすに溝を以てす。」
と称したのが由来だという。
古墳を牛車に見立て、円墳に人が乗り、方墳を牛が引く。
前後は牛車の進行方向を表している。
古墳時代に牛車があったという事実は見つかっていないが、
とくにこれに変わる名称もないことから、そのまま使われているらしい。
世界遺産登録に合わせて古墳関連書がどんどん出版されて嬉しい。
コメント
前方後円墳の上から見た図について誤っているので、修正あるいは削除を求めます。
横から見た図は合ってますが、上から見た図は誤りです。
「江戸時代は上空から見ることが出来なかった」と、投稿主様の想定での図を作成されたかと思われますが、車輪に該当する部分は、後円部ではなく造り出しの部分だと『山陵志』に明記されています。
貴投稿を読むと、文脈上何も問題もありませんが、画像検索で画像のみ閲覧した場合、読者が誤解しかねません。非常に危険です。
図の削除か、図そのものに「投稿主予想図」等、追記願います。
上からの図を削除しました。
画像検索で記事まで確認せず、画像のみを転載してしまう時代ですからね。
ご指摘ありがとうございました。