先日の収録の際、rennyさんからご紹介いただいた、
東浩紀「訂正する力」を読んでみた。
気になったポイントをざっとまとめておくと、
- 「訂正する力」とは、過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力のこと。「リセット」願望の強い今の日本に足りない力。
- 訂正する力を現実から目をそらすために使ってはいけない。現実を再解釈するために使うべき。
- 訂正する力の対局にあるのは、「ぶれない」ことをアイデンティティにすることや、議論に勝敗をつけようとする「論破力」。
- 文化や慣習はリセットしようとしても元に戻ってくる。だから過去の記憶を訂正しながら、だましだまし改良する以外に前進できない。
著者の主張がちゃんと理解できてなさそうだけど、
本来の日本的な方法を取り戻すのが大事なのかなと感じた。
日本の歴史・文化を学んでいて、私が特徴的だと思うのは、
あいまいなまま、はっきり境界を引かずに、
入れ替わり、立ち替わり、コロコロ変わっていくところ。
一言で表すと「メビウスの輪」みたいなイメージを持っている。
- 言語…文字を手に入れるべく漢字(真名)に取り組んでみたら、ひらがな(仮名)が生まれた。
- 神仏…土着の「神」と渡来の「仏」に優劣をつけず、神宮寺や神前読経で神仏習合。
- 歴史…「冥」と「顕」のせめぎ合いの中で歴史が生まれる(慈円「愚管抄」)
- 茶道…村田珠光「和漢のさかいをまぎらかすこと肝要」。表千家・裏千家。
- 主客…主客未分を追求する、禅・茶道・西田幾多郎。
このあたりは「訂正する力」と近い事例だと思う。
また勝手に自分ごとに解釈してしまうと、
強い企業は「訂正する力」を持っているように思う。
創業者の想いを引き継ぎ、守りながらも、
時代に合わせてそれを再解釈している企業が強い気がする。
そしてそうした企業を追いかける投資家も同じ。
個々の人生に関連させると、前にまとめた話にも近いのかな。
- 論理より直感を信じるようになった経緯(22/08/11)
- 論理的に一貫しているものが好まれるわけ(22/08/14)
論理的に一貫していることを求められる一番身近なものは、
明確な夢や目標に突き進む人生が正しい、みたいなあれ。
現在の行動が過去の意思決定に縛られていては、
この世界の不確実性にいいように振り回されるだけ。
だから偶然の幸運をつかみやすい人生を送るために、
「訂正する力」を養うことが大切なのだと思う。
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