タイトルに惹かれて読み終えた後に、
同じ著者の「考えるとはどういうことか」という、
似たタイトル本を読んでいたことに気が付いた。
「考える」ことについて、目を引いたのはこんな記述だった。
- 分からないことを増やすこと
- 答えを求めようとせず、問い続けること
- 一貫性を求めず、変化を楽しむこと
- 価値観の違う人たちとの対話の余地を残すこと
- 役割、立場、境遇、常識、固定観念などから自由になること
「考える」が2018年、今回の「問う」が2023年出版。
出版社は違うが、前書きの書きぶりからシリーズものかな。
「考えが漠然としているのは、問いが漠然としているからだ。具体的に考えるためには、具体的な問いを立てなければならない。問いの質と量が思考の質と量を決める。要するに、考える力をつけるために重要なのは「問う力」である。」
「問う」ことについて、気になった記述を簡潔にまとめると、
- 自らの存在証明のために問う。物事に疑問を持つのは、自分が生きるそのままの現実に出会うことだから。好奇心がこの世界を生きる原動力だ。
- 考え続けるために問う。考えることは、知ること、理解することよりも自由だ。そして問うことで常識や偏見、無知から解放される。
- 他者と共に生きるために問う。ある出来事にどういう意味があるのか?という問いは、誰にとっての意味なのかという問いと切り離せない。
ただ私が求めていた「問い」にはたどり着くことはできなかった。
知的好奇心は人一倍強い自覚はあるのだけど、
私にとって大人数と感じる場(だいたい5人以上)での話に、
まったく関心がわかず、ただただ「無」になるのはなぜか?
だからそのような場をなるべく避けているのだが、
苦手なものに足を運べば発見があるはず、と頑張っても
やはり「無」になり、「問い」が立つことはなかった…。
コメント