論理より直感を信じるようになった経緯

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論理的思考、ロジカル・シンキング。

私のなかでは2000~2010年あたりに、世間でもてはやされた印象がある。
当時20代だった私は、なるほど論理の積み上げが大切なのか!
と真に受けたが、とくに証券市場と向き合うには、どうにも通用しなかった。

その後、論理的思考の原点とされる、
デカルト方法序説」をきちんと読んでみると妙な記述に出会う。
次の4点に従えば、あらゆるものを論理的に説明可能と説くが…

  1. 即断と偏見を避け、明らかなもの以外は判断に含めないこと
  2. 難問をより多く、よりよく解くために問題を小さく分割すること
  3. 最も単純なものから最も複雑なものへ階段を昇るように進むこと
  4. 全体を見直して、何も見落としていないことを確信すること

4番目にはいわゆる「ラプラスの悪魔」、人知を超えた知性が必要なのではないか?

ここに論理的思考の欠陥を感じて以来、
論理の積み上げにより、世界を読み解こうとする方法は、
規則性を望む私たちの脳が見せる幻想なのだと感じるようになっていった。

と同時に、過去や現在に論理的解釈をつけてこだわっているうちは、
この世界の不確実性にいいように振り回されるだけ、ということを、
株式投資を通じて身をもって経験していくことになる。

こうして未来を変えるような偶然の幸運をつかむには、
論理よりも直感に基づく決断が不可欠であることに気付くことになる。
もちろん株式投資だけではなく、人生においても

またとくに羽生善治さんの著作を通じて直感を生かすには、
多分野に好奇心を持つことが大切であることを学んでいった。

こうした変遷から、世界を読み解くには「論理より直感」だと書くことが多いが、
もちろん論理的な思考や解釈がまるで役に立たない、という訳ではない。

たとえば株式投資においては、論理の積み上げによって、
こうなるだろうと予想した考えを捨てる、という過程が大切だと思うから。
かなりの確率で、もっともらしい未来予想は、もっとも起こりえない未来だから。

つまり、ある時点までは論理的思考が大切だが、その考えをどこで手放すか、
それは直感に頼るしかないから、直感を磨いていくことが大切ということだ。

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