大人になると「未来」とか「将来」という言葉を気軽に使うが、
子供の頃はあまりピンと来なくて「?」だったことを思い出した。
記念の冊子やアルバム用に「将来の夢」を書けと言われても、
まったく思いつかず、最後には教員室に呼び出されて、
先生がいくつかあげた具体例から選んだのだった。
過去・現在・未来という時間の流れが認識できておらず、
ひたすら目の前の遊びに熱中していたということだろうか。
禅的な時間感覚(あるのは「今」だけ)に似ていて興味深い。
- 道元の時間論/正法眼蔵・現成公案(12/02/26)
脳科学的には記憶が増えるとともに(そして忘れることで)、
自然と時間の流れが感じられるようになるようだ。
- 時の流れを感じられるのはなぜか?/松浦壮「時間とはなんだろう」(21/06/08)
- 過去の記憶が色あせるから、時の流れを実感できる。(22/03/04)
宗教的にはユダヤ・キリスト教が直線的な時間世界のはじまり。
天地創造から終末に向かって時間が直線的に進んでいく。
そして機械時計が発明され、自然から時間が切り離されことで、
時間の流れが目にも見えるようになり、変質した進化論とあいまって、
- 曲解された進化論/長谷川眞理子「進化とはなんだろうか」(16/01/09)
社会が時間とともに進歩・革新し高次元の社会へ移行する、
という現代の資本主義の根幹に直線的な時間世界がある。
今では過去・現在・未来という時間の流れが常識とされるが、
こうして巡っていくと、空想の積み上げにすぎないようにも感じる。
そしてアインシュタインも過去・現在・未来の区別は幻想だと語っている。
- アインシュタイン、「今」の扱いに悩む(15/06/11)
日頃は投資家として未来に目を向けることが多いが、
なにやら幻のような土台の上で考えをめぐらしているのだなぁ。
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