過去・現在・未来と時が流れはじめた背景

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大人になると「未来」とか「将来」という言葉を気軽に使うが、
子供の頃はあまりピンと来なくて「?」だったことを思い出した。

記念の冊子やアルバム用に「将来の夢」を書けと言われても、
まったく思いつかず、最後には教員室に呼び出されて、
先生がいくつかあげた具体例から選んだのだった。

過去・現在・未来という時間の流れが認識できておらず、
ひたすら目の前の遊びに熱中していたということだろうか。
禅的な時間感覚(あるのは「今」だけ)に似ていて興味深い。

脳科学的には記憶が増えるとともに(そして忘れることで)、
自然と時間の流れが感じられるようになる
ようだ。

宗教的にはユダヤ・キリスト教が直線的な時間世界のはじまり。
天地創造から終末に向かって時間が直線的に進んでいく

そして機械時計が発明され、自然から時間が切り離されことで、
時間の流れが目にも見えるようになり、変質した進化論とあいまって、

社会が時間とともに進歩・革新し高次元の社会へ移行する、
という現代の資本主義の根幹に直線的な時間世界がある。

今では過去・現在・未来という時間の流れが常識とされるが、
こうして巡っていくと、空想の積み上げにすぎないようにも感じる。
そしてアインシュタインも過去・現在・未来の区別は幻想だと語っている。

日頃は投資家として未来に目を向けることが多いが、
なにやら幻のような土台の上で考えをめぐらしているのだなぁ。

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