私は証券市場分析から時間論(哲学)の世界に足を踏み入れた。
「過去→現在→未来」という一直線の時間世界に疑問を感じたから。
金融・投資の理論は欧米で生まれたものだから、
やはりキリスト教の世界観の影響を受けているのだろう。
19世紀のニーチェの登場まで、西洋の時間は連続と直線だった。
東洋に目を向ければ、仏教には独自の時間世界が存在する。
輪廻転生といった循環的な時間はもちろん、
私たちには「現在」のみが存在し、過去も未来もないと説いた、
- 三世実有(さんぜじつう)
- 過未無体(かみむたい)
といった非連続な時間世界を描いた教説が存在するようだ。
鎌倉時代の禅僧、道元の「正法眼蔵」にも同様の記述が見られる。
→関連記事:道元の時間論-正法眼蔵・現成公案(12/02/26)
あえて分かりやすく表現するなら西洋と東洋の違いは、
時間を「線」で捉えるか「点」で捉えるか。ってとこかな。
時を読み解くことが投資理論やリスク管理の再生に不可欠だと思ってる。
時間論は人生や幸福を哲学するためだけのものじゃないんだ。
アインシュタインの相対性理論もある意味、時間の捉え方の革命。
そんなわけで今後も「時の哲学」を追っかけ続けてみたい。
コメント
企業にしろ経済にしろ、起業(OR経済成長開始)から世の中の需要に応
じて、拡大成長を経て、モノやサービスが十分いきわたると成熟安定
期に移り、供給過剰になると衰退し始める。
そういう視点で見ると西洋的な連続な印象にはなるけれど、
実際には供給飽和して衰退した後に、新たな需要が生まれてまた
起業or経済成長(この場合は景気回復?)のサイクルが生まれる。
と考えれば、企業や経済も、形を変えながら回帰してるともとれる。
「点」での視点と経済・投資における視点は今の自分ではまだうまく
理解できないけど、連続と回帰はなんとなく分かる気がする。
とりあえず、何十億という人が絡み合って経済活動があり、時間が
流れるなかで変化していくのだから、一つの解析手法で解析・定義
付けしようということが無茶で、連続的な動きも・循環回帰の要素
も、中には非連続で突発的な変化もあるから、色んな視点で多種の
可能性を考えてリスク評価をして投資を考えないと、大きなリスク
を見落としてしまうよっていう、今の投資理論への戒めのように
読み取れました。
経済や投資の分野でも、連続と回帰の視点は十分検証されていました。
その昔、私は「投資の研究者としてノーベル経済学賞とる!」と仕事辞めて大学院へ行ってた時期もあるんですよ。
でもファイナンス学会みたいなのも参加してみて、連続と回帰だけじゃ正しく世界を読み解くことはできないな、って痛感して今はジョージ・ソロスにならって、気ままに哲学的なアプローチを試みています。とくに時間論に興味があって、ここから何か新しいもの見つからないかな。