投資を通じて一番ひっかかったのは、現在・過去・未来の捉え方。
投資理論で主流の数学的な切り口では、満足できる答えは得られず、
今は「時」「偶然」「運命」といった哲学の分野に答えを求めて旅してる。
おそらく私がバフェット派からソロス派に転向した、ってことなんだろう。
時を論じた哲学者としては20世紀のハイデガーが有名だけど、
彼より約700年前にすぐれた時間論を書き残した禅僧が日本にいた。
鎌倉仏教・曹洞宗の祖、道元だ。
道元がその思想を書き残した大著「正法眼蔵」。
その巻頭の章「現成公案」から、道元の時間論を少々。
「薪、は火となる、さらにかへりて薪となるべきにあらず。しかあるを、灰は後、薪は先と見取すべからず。・・・前後ありといへども、前後際断せり。・・かの薪、は火となりぬる後、さらに薪とならざるがごとく、人の死ぬ後、さらに生とならず。・・・生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。」
薪は燃えて灰となり、灰が薪に戻ることはない。
この前後のありかたには断絶(前後際断)がある。
薪と灰との関係は、人の生死も同じで、生と死は連続したものではない。
「現在」という立ち位置において、「過去」を想起し、「未来」を予見する。
こういうかたちにおいては、前後(過去・未来)があるように感じる。
しかし、存在するものはひたすら「現在」を生きていて、その前後はない。
「現在」が変化し続けるのだから、現在・過去・未来は「前後際断」している。
もう少し簡単にまとめると…。
現在・過去・未来という時の流れを一直線に結ぶことはできず、
過去から現在を理由づけたり、未来を予想することはできない。
私たちは「現在」の連続の上に生きているのだから。
長期投資家・バリュー投資家が嫌う、ポール・サミュエルソンの言葉。
道元の時間論に触れた後には、目を背けることはできないだろう。
- 「投資期間が長くなれば、リスクはゼロに向かって減少していくというのは真実でない。 訪れる年はどの年も、残された全期間にとっての最初の年なのである。」 (ジョナサン・バートン「投資の巨匠たち」P37)
- 「買手と売手が市場で合意した価格に勝る、もっと正確な本質的価値はおそらくない。」(ピーター・バーンスタイン「証券投資の思想革命」P176)
もちろん道元が伝えたかったのは、「今」を生ききる大切さだけどね。
たまには「投資」につなげないと、「違う人が書いてる」と言われるから(笑)
参考文献
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