リーマン・ショックの真っ只中で、私の中の時の流れが、
株価の変動に合わせて速くなったり、遅くなったり…。
時の流れは誰にとっても同じ、唯一絶対のものなのだろうか?
そんな疑問が生じたときにアインシュタインの相対性理論と出会った。
動くものは、時間が遅くなり、長さが縮み、質量が増える…。
つまり、時の流れは誰から見ても変わらない「絶対的」なものではなく、
見る人の立場によって「相対的」に変わる、ということなのだろう。
あれ以来、物理学(とくに宇宙物理学)に関する本を読むようになった。
先日、松浦壮「時間とはなんだろう」を読んで、
時間感覚に関する、より基本的な理解が深まったような気がする。
「現代を生きる私たちは、ほとんど無意識に『時間が流れているからものが動く』と考えてしまいますが、自然な発展の順序から言えばこれは逆です。ものが動くから時間を認識できるのです。」
時の存在が重要になるきっかけとなったのは、
ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)が実験や論理を重視したことにある。
- ガリレオ以前の科学者は科学現象が「なぜ」起こるかを重視
- ガリレオは科学現象の量的表現(数式化)を試みた
物体の運動を「なぜ動くか?」という哲学的な問題から、
「どのように動くか?」と考える上で、客観的な「時」が必要となった。
「時間の経過が記録できているということは、何らかの形でものが変化しているということです。繰り返しですが、変化はものの運動によって生み出されます。時間の認識や記録の背後には必ず物体の運動があり、物体の運動があるからこそ時間を認識したり記録したりすることができる。」
そしてこれがニュートン(1642~1727)へ引き継がれ、
多くの物理法則の基礎となる「瞬間」を捉えるための微分方程式は、
よくよく数式を見ると、隠れた主語が「時」になっている。
「私たちが思い込んでいる「時間」という存在は、物体の運動が持つ性質を説明するために導入された仮説だった、というのが事の真相です。」
なるほど。
では仮説であったとしても、時が一方向に流れていくように感じるのはなぜか?
それは「時間の方向」が「エントロピーが増える方向」と一致しているからだという。
イマイチ理解できなかったのだが、とりあえず著者の仮説をメモしておこう。
「情報が増加すると、その場所は整然とするので、エントロピーは減少します。ところが、世界のエントロピーは一方的に増え続けますから、メモリ単体でエントロピーが減少したとしても、メモリを含む自然界全体のエントロピーは確実に増えますし、何より、メモリの情報量を増やす操作そのものが外部のエントロピーを増やします。ということは、メモリの情報量が増える方向を時間と捉える限り、それは自然界の時間方向と必ず一致するということです。人が感じる時間と物理的な時間が一致するのはこのためではないか、というのが私の予想です。」
私たちの記憶が増えることが、時間の流れを作っているということだろうか。
普段は気にもかけない時の流れを、きちんと読み解こうとすると頭が混乱する。
時の不思議には大きな魅力が詰まっているように感じるのだった。
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