後ろにある未来?「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

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昔の人気映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がテレビ放送されていた。

子供の頃にぼんやり見ていたので、当時はなんとも思わなかったが、
このタイトル、よくよく考えると不思議なものがある。

「過去に戻る」ではなく「未来に戻る」なのである。

私たちの後ろにある未来?

マイケル・ジャクソンがムーンウォークで後ろに進む不思議な感じだ。
イメージ図を書くと、

しかし私たちの一般的な認識は未来が前にあり、過去は後ろにあるものだ。

ただし「先」や「前」を含んだ言葉は、「過去」にも「未来」にも使われる。

  • 先々のこと、先延ばしにする、幸先が良い(未来)
  • 先日、先月、先週、先人(過去)

こうした後・先の逆転現象が、なぜ起きているのかというと、
中世までの日本語には「後」は「未来」、「先」は「過去」の意味しかなかったから。

そんな話が「世界の辺境とハードボイルド室町時代」の中で紹介されており、

「これは、勝俣鎮夫さんという日本中世史の先生が論文に書かれていることなんですが、戦国時代ぐらいまでの日本人にとっては、未来は「未だ来らず」ですから、見えないものだったんです。過去は過ぎ去った景色として、目の前に見えるんです。当然、「サキ=前」の過去は手にとって見ることができるけど、「アト=後ろ」の未来は予測できない。・・・過去が前にあって未来は後ろにあるという認識は、世界各地の多くの民族が共通してもっていたみたいなんです。・・・」

世界共通でこの認識となると教養ある欧米人であれば、
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」と効いてニヤリとしたのか?

さて後先の感覚はいつ、そして何をきっかけに逆転したのか?

「ところが、日本では16世紀になると、「サキ」という言葉に「未来」、「アト」という言葉に「過去」の意味が加わるそうです。それは、その時代に、人々が未来は制御可能なものだという自信を得て、「未来は目の前に広がっている」という、今の僕たちが持っているのと同じ認識を持つようになったからではないかと考えられるんです。神がすべてを支配していた社会から、人間が経験と技術によって未来を切り開ける社会に移行したことで、自分たちは時間の流れにそって前に進んでいくという認識に変わったのかなと思います。」

なぜ人々が16世紀に未来が制御可能なものだと考えるようになったのか?
ヨーロッパから「機械時計」が上陸するのはこの頃だが背景は不明だ。

ヨーロッパで決定的に意識が変わるのは、おそらくナポレオンがきっかけだろう。

「統計は事物の予算である。そして予算なくしては公共の福祉もない。」

という言葉を残したナポレオンは、1800年に統計局を設置。
国家運営に確率・統計を持ち込み、未来の偶然やリスクを飼い慣らそうと試みた。

その流れを今も受け継いでいるが、21世紀に入って以降は、
金融危機・フクシマ・COVID-19…破局をもたらす事象には無力を露呈している。

人間が自然と社会の中に生きているということ自体が、
偶然やリスクが生ずる発端であることを棚に上げ、
未来を制御可能だと前を向いた私たちの前に立ちはだかる壁。

たしかに未来に向かって前を向いているが、
バックミラーだけを見て車を運転しているようなものだ。
ゆえに事故は起きてもしかたがない、と諦めるしかないのだろうか。。。

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