贅沢に余暇を楽しむために/國分功一郎「暇と退屈の倫理学」

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テレワークにより浮いた通勤時間分の余暇をどう使うか?
ラッセルの「怠惰への讃歌」で読み解いたりしてみたが、

そういえば昔、「暇」をテーマにしたベストセラーがあったのを思い出した。

増補新版が出ていたので、図書館で借りてざっと再読してみると、
多くの人が余暇を楽しむ術を身につけると、消費や労働の形が大きく変わるのでは?
と問いかけているように感じた。

この本で興味深いのは「浪費(贅沢)」と「消費」の線引きだと思う。

「贅沢とは浪費することであり、浪費するとは必要の限界を超えて物を受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件であった。現代社会ではその浪費が妨げられている。人々は浪費家ではなくて、消費者になることを強いられている。物を受け取るのではなくて、終わることのない観念消費のゲームを続けている。浪費は物を過剰に受け取ることだが、物の受け取りには限界があるから、それはどこかでストップする。そこに現れる状態が満足である。」

「それに対して、消費は物ではなくて観念を対象としているから、いつまでも終わらない。終わらないし満足も得られないから、満足をもとめてさらに消費が継続され、次第に過激化する。満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。」

人が豊かに生きるためには、贅沢がなければならないはずだが、
私たちが贅沢と思っているものが消費にすぎないことも多いと説いている。

一番分かりやすい例がグルメブームだろう。

食事そのものを贅沢に楽しんでいる訳ではなく、
ミシュランの星付き店で食事をした、インスタ映えする食べ物を写した、
といった情報を消費しているだけなのだ。
だから満足が得られることはなく、しだいに退屈していく。。。

贅沢って何だろう? 
今一度、自分なりに頭を整理してみると、

  • 贅沢は日常の暮らしのなかにこそあるべき

    • 日々の食事を大切にすることが贅沢であり(料理の意義)、

    • がんばったご褒美に!というような非日常は贅沢ではない。
  • 富の増加は必ずしも贅沢にはつながらない

    • 贅沢と消費を取り違えないために「足るを知る」ことが大切。
  • 贅沢は豊かな時間の使い方に宿る

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