読書は新たな自分に出会うため/永田和宏「知の体力」

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今年の年賀状がわりに書いた、

私なりに読書の意義をまとめてみたのだが、
もっと美しいまとめかたをしている本に出会った。

著者は読書や学問の意味は、新たな「私」に出会うため、と言う。

「読書や学問をすることの〈意味〉は、端的に言って、自分がそれまで何も知らない存在であったことを初めて知る、そこに〈意味〉があるのだと思う。ある知識を得ることは、そんな知識も持っていなかった〈私〉を新たに発見することなのだ。」

その驚きや喜びが、しんどい作業でともすれば敬遠しがちな、
学問や研究への興味やモチベーションにつながるのだと。
そして知ることに対する敬意、リスペクトの想いにつながるはずだと。

新たな自分を再発見することは、自分を客観的に見つめ直すことでもある。
読書や学問を通じて、自分を見つめるための複数の視線を得ることで、
独りよがりにならず、世界と向き合うための基盤を作ることが大切。

「勉強や読書は、自分では持ち得ない〈他の時間〉を持つということでもある。過去の多くの時間に出会うということでもある。過去の時間を所有する、それもまた、自分だけでは持ちえなかった自分への視線を得ることでもあるだろう。そんな風にして、それぞれの個人は世界と向き合うための基盤を作ってゆく。」

読書の場合、自分の世界観を広げるきっかけとなるような本は、
やはり「古典」と呼ばれるものから見出されることが多いと思う。

私たち人間の思考や心の歴史をたどれば、
本当に多くのことに悩み、苦しみながら新しい道を開いてきた。
こうした歴史の中で、読み継がれてきたのが「古典」なのだから。
古典に親しめば、日々の悩みなど些細なことだと悟るだろう。

だからなるべく出版から100年は経った本を手にするようにしたいもの。

そういえば最近こんな質問をされて笑ってしまった。

「あなたのような教養人が投資に親しんでいるのはなぜなのか知りたい。」

もしブログの内容から、私が教養人に見えてしまうのだとしたら、
株式投資のために、世界を読み解く方法を求めて、本を読みあさったから。
つまり株式投資と読書のおかげで、教養が身についたということ。
教養ある人間が投資をするのが不思議というのは単なる偏見だよ。

しかし子供の頃は国語が大の苦手で、言語障害を疑われたほどなのに、
教養人と呼ばれることに違和感がありすぎて、ただ笑うしかなかった。
読書が趣味と言えるくらいになって、まだ10年くらいなのに…。
私も読書を通じて新たな自分に出会えたということかもね。

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