先日、法人格の仕組みがAIと相性がいいと言う話を聞いて、
今まで頭の中でくっついていた「会社=法人」が剥がれた。
そもそも会社(とくに株式会社)とは何か改めて考えると、
- 株主が法人である会社をモノとして所有
- 法人である会社がヒトとして会社資産を所有し経営
という二段階の所有関係で成り立っている。
後者にとくに重心を置いていたのが、かつての「日本的経営」。
会社を一つの家族のように捉えた、ヒトっぽい会社のイメージ。
「会社=法人」を追求した経営だったのかもしれない。
思えば本来の「経済」の意に沿った会社のあり方だったのかも。
この言葉はもともとは「経世済民」の省略語で、
「経世」は荘子、「済民」は書経からとられたものだった。
春秋の経世、先王の志は、聖人は議するも弁ぜず。(荘子・斉物論篇)
これなんじ有神、ねがはくは克く予を相けて、以て兆民を済ひ神の羞を作す無らんことを。(書経・武成篇)
「経」は「おさめる」、「済」は「すくう」ことを意味し、
経済の語源である経世済民は「国を治め、民を救う」ことだった。
ヒトとしての会社を重視した時代は残っていた経世済民の感覚。
会社をモノとして評価・売買することが正しい考え方とされる今、
「国を治め、民を救う」から遠い存在になりつつある。
また最近ではNISAが普及するにつれて、会社をモノとして、
お金を増やすこと以外に関心を持たない投資家が増えた気がする。
でも日本の古典を追っていると、日本人の「富」に対する感覚は、
単なる資産を多さではない、別の価値観があったように思える。
- 資産を殖やす話ばかりの今こそ、徒然草。(24/01/04)
- 憧れでも妬みでもなくお金と向き合う/井原西鶴「日本永代蔵」(19/04/21)
より身近で現在も残っている習慣からもその価値観は垣間見える。
- 日本人はお金を神に捧げる(お賽銭)
- 神社でお金を浄化しようとする(銭洗弁天でお金を洗う)
そんな神様を仲介として得られる、ご利益を期待する感覚。
たとえば今の投資環境では、防衛産業への投資は正解かもしれない。
でも「そんなお金の儲け方は、いい死に方をしない」との嫌悪感がある。
私の中にも眠っている、お金に魂や文脈を求める日本特有の美意識が、
論理を超えた直感を導き出しているのかもしれない。

コメント