網野善彦「日本の歴史をよみなおす」をたまに読み直すとおもしろい。
P57-58のあたりに、平安時代には虹が立つと市を立てる慣習があり、
虹は、あの世とこの世、神の世界と世俗との架け橋だから、
そこに市場を開き、交易をおこなって、神を喜ばせなければいけない、
と考えられていたのでは?という記述がある。
神を喜ばせるといえば…
マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
の職業倫理を思い出す。
「職業が有益なものであるかどうか、そして神に喜ばれるものであるかどうかを決定する基準となったのは、まず第一に道徳的な基準であり、第二はその職業において生産される財が、「全体」にとってどれほど重要な意味をもつかという[有用性の]基準であり、第三に私経済的な「利益率」という基準が適用された…」(P418)
市場の暴走を食い止めるのは、神様が見てるから悪いことはダメって心。
ウェーバーがそう気付いたことが、700年以上前の日本にはあった。
ウェーバーの世界観は、おそらくニーチェが説く「神は死んだ」で壊れた。
日本で市場と神とが決別したのはいつ頃なんだろう???
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