2月の初めから新しい名刺を使っている。
表が名前(本名)とローマ字、裏はここのURLとQRコードだけ。
当初は余計な物を削ぎ落とした「余白の美」を気取ってたけど…
渡した相手に「ワイルド」と称されることが多かったから、
「名刺から肩書きを捨ててやったぜ。ワイルドだろぉ~?」
と笑いを取りに行く方向へ。いま流行の一発ギャグだしね。
背負っている家紋やのれんからその人の見定める。
日本はそんな歴史と伝統のある国だから(→関連記事)、
「肩書きも資格もい~らない」って私はある意味ワイルド?
でもこんな理由から必然的にワイルド名刺になったわけで。
- そもそも私には人に自慢できる肩書きや資格がない
- いくつか名刺があり「今日の人にはこっち?」と迷うの面倒
- なんにも肩書きがない方が誰とでもコラボできそう
- 別れた後で興味を持ってもらえる情報を(=ブログ)
そういえば、とある有名企業に勤める知人は、
仲間内で名前を忘れたとき「ほら○○社の人だよ」という感じで、
名前じゃなくて会社名で覚えられてしまうことが悲しいんだって。
会うたびに違うことやってる私がうらやましいとも言ってた。
どんな立場にいても「ないものねだり」は起きちゃうんだよね。
私は群れに溶けこむのが苦手で、立食パーティーとか地獄だよ。
群れにいながら一匹オオカミにもなれるのが理想なんだろうけど。
コメント
MBAをお持ちでしたよね? 立派な資格ではないですか。
高校卒業以降の学歴は記憶から消したぜ。ワイルドだろぉ~?
肩書きと聞くと、ついつい安部公房のS・カルマ氏の犯罪を連想してしまいます。
ある日、突然胸の内が空っぽな気がして会社に行ってみると、自分の名詞が仕事をしていたというくだりです。
この場面は肩書きだけで仕事をしている人たちに対する風刺ではないかという考察がなされていますが、私自身がそれにあてはまる人間で苦笑せざるをえません。
漱石が「私の個人主義」で、文学とは何かわからないまま教師になりその日その日をやり過ごすような毎日で苦しい心持ちだったと語っていましたな。
夏目漱石は明治初期に先進国イギリスへ留学し「なんじゃこりゃ?」とガッカリして、なかばうつ病のようになって帰国。海外行って「これはすごい!」と外国かぶれになる人よりも、古くは道元や雪舟、そして漱石のような人物こそが歴史に名を残す。このことが持つ意味は結構大きそうで、私にはまだ捉えきれない謎です。
なんか脱線しちゃった。
名刺に仕事をさせておいて、自分は優雅に暮らすことができたら…ムフフです♪