前回はリヒテンシュタイン家のヨハン・アダム・アンドレアスが、
他の貴族から買い取った土地が(買収金額1兆円超!)、
リヒテンシュタインの国家成立に繋がるところまで調べた。
このような巨額な資金はどこから生まれていたのか?
今回は同家の財産がどう築かれたのか探究してみた。
アンドレアスの父にあたるカール・オイゼビウス(1611~1684)は、
現代のリヒテンシュタイン侯爵家コレクションの礎となった、
美術品収集で名を馳せた人物で、次のような言葉を残している。
「稀有で良質で、美しく、高貴なものに経費を使うことは素晴らしいことで、称賛に値する。こうしたものは、偉大かつ崇高な記念として永遠に残るだろう。だが価値のない、不完全なものにお金を投げ捨てることは愚かなことだ。」
また同家の歴史で初めて建築家や画家を雇用し、
パトロンとして美術振興に努めており、
なんとなくルネサンス期のメディチ家にイメージが重なる。
アンドレアスも、オスマン帝国によるウィーン包囲(1683)により、
財政難に陥っていたハプスブルク家へ融資もしていることから、
リヒテンシュタイン家はかなり異質な存在だったと考えていいだろう。
しかしリヒテンシュタイン家の財産がどう築かれたのかが調べても分からない。
領地経営について細かく記された指南書が代々引き継がれていたとか、
アンドレアスが実業家として優れていたといった記述が見つかる程度。
私なりにひとつ仮説を立てるとすると、
リヒテンシュタイン家は早くから会計帳簿を重視していたのでは?
ジェイコブ・ソール「帳簿の世界史」では、
複式簿記を解説したルカ・パチョーリの「算術、幾何、比及び比例全書」(1494)
にまつわる一節で以下のように記していた。
「この世界初の会計の入門書は、その後100年にわたって商人からも思想家からも無視された。16世紀に入ると、多くの国が騎士道精神を掲げる絶対君主を戴くようになり、会計は身分の低い商人の技術であるとして次第にさげすまれるようになっていったためである。こうした背景から、強国の王でさえ、国家の財政を任せられる有能な会計専門家をなかなか見つけられなくなった。」
広大な領地等の豊かな収入源があったとしても、
それを管理する方法が分かっていなければ財産を築くことはできない。
複式簿記による財産管理が、国を買い取る資金に繋がるのではないだろうか。
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