リヒテンシュタインの国家成立が不思議

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リヒテンシュタイン侯爵家の方の講演を聞く機会があり、
国の歴史や伝統をインパクト投資と絡めるような内容だった。

ふとヨーロッパの小国がどう生き残ってきたのかを探究すれば、
何かしら投資のヒントが得られるのでは?と思いつき、
この機会にリヒテンシュタインについて調べてみることにした。

リヒテンシュタインは国の成り立ちはかなり奇妙だ。

「リヒテンシュタイン」という名称は、
フーゴ・フォン・ペトローネルという名の貴族が、
1130年頃にウィーン南のメードリンクに城を建設したことに由来。

その城の石材が「明るい色(Licht)の石(Stein)」だったことから、
築城後にフーゴが「リヒテンシュタイン」と名乗るようになったとされる。

しかしその後、リヒテンシュタイン城は他家の手に渡り、
しかもリヒテンシュタインが国家となるのはそれから約600年後のこと。

ハプスブルク家の家臣として宮廷の要職にあった、
リヒテンシュタイン家のヨハン・アダム・アンドレアス(1657~1712)は、
自身の国を持つことが条件の神聖ローマ帝国議会の議決権を欲していた。

運良く1699年、1712年と立て続けに現在のリヒテンシュタインの地が、
他の貴族から売り出されていたのを買い取り、直後にアンドレアスは亡くなるが、
1719年に神聖ローマ帝国より自治権が付与され、国が成立する。

ちなみに国家買収に要した資金の総額は、
当時の通貨で405,000グルデン、現在の貨幣価値で100億スイスフラン程度
植田健嗣「ミニ国家 リヒテンシュタイン侯国」より

最近は円安が進みすぎて円換算(現在1スイスフラン=147円)すると、
やたら大きな金額になるし、国家の売買って一体?と謎だらけだ。

しかし一番の謎はリヒテンシュタイン家がなぜそんなにも裕福だったのか?
そのあたりは現在、探究中。

さらなる謎もあり、リヒテンシュタインという国を手に入れたものの、
同家の一族は引き続き、ウィーンの宮殿に住み続け、
住居をリヒテンシュタインのファドューツへ移すのは1938年のこと。
フランツ・ヨーゼフⅡ世(1906~1989)の時代になってからだった。

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