古代日本は固有の文字を持たない無文字社会。
そこへ中国から「漢字」がやってきた。
当時の日本人は渡来人の漢字の発音と自分たちの発音をつき合わせ、
漢字一文字に和音(倭音)をあてて、「万葉仮名」を生み出した。
私たちが今でも使う、漢字の「音読み」はこの頃からの伝統なんだよ。
「音」で編集した私たちの祖先は、聴覚が優れてたんだなぁ、と感心する。
平安時代に入り「万葉仮名」から「仮名文字」が生み出される。
模倣から生まれる創造。日本が古来より繰り返してきた手法だね。
- 平仮名…万葉仮名で和歌や文章を綴るうちに文字が行書・草書化
- 片仮名…漢文を音訓読するための記号・符号から派生
同じ頃、中国の王朝「唐」の弱体化をきっかけに、日本は遣唐使を廃止。
日本が初めて「中国離れ」を意識し、独自の文化が芽ばえ始めた時代。
そこに現れたのが平安時代を代表する歌人、紀貫之だ。
紀氏一族は古来より朝廷の要職を占めていたが、藤原氏の台頭により、
貫之の代には、才能があっても政治・軍事面で活躍の場はなかった。
こうして貫之は文芸の世界に身を投じ、日本語成立に大きな業績を残す。
古今和歌集の仮名序
古今和歌集の序文には「仮名序」と「真名序」の2種類が並記されている。
漢文調の真名序に対し、貫之の書いた仮名序は平仮名メインの和文。
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言い出せるなり。」
当時、和歌と漢詩を併記することはあっても(菅原道真の「新撰万葉集」)、
和文と漢文を併記したのは、この古今和歌集の序文が初めてだった。
歴史上、公的な文書に平仮名が登場したのも、この仮名序が最初。
おそらく当時の日本人にとって、和文で書き記すのは難しかったのだろう。
だがこれを貫之はやってのけた。しかも天皇勅命で編さんした和歌集で。
土佐日記
日本語の形成に大きな影響を残した、漢文に対する和文の立ち上げ。
たまたまではなく、貫之が意識的に行ったのでは?と感じされるのが、
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」
で始まる土佐日記。
女性が使うものとされている仮名文字で日記を書くぞ!と宣言。
和歌を織り交ぜ、日本の心を漢文ではなく和文で表すこと試みた。
以上のように紀貫之はただの歌人ではなく日本語の原型を創った偉人。
私がこうして日々、文章を綴ることができるのも彼のおかげかもしれない。
というわけで、紀貫之に感謝・敬意を込めて、2012年のブログを開演♪
参考文献
- 松岡正剛「日本という方法」
- 詳説 日本史図録(山川出版社)
- 古今和歌集(角川ソフィア文庫)
- 土佐日記(角川ソフィア文庫)
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