人は本来孤独なもの。
そんな事実に目をそらすには好都合なものが今の時代にはたくさんある。
たとえばSNSような、夢幻か現実か分からない人とのつながり。。。
昨年の漢字に「絆」が選ばれたり、経済で言うところのバブル状態なので、
真逆の「孤独とどう向き合うか?」をテーマに徒然草を処方したい。
「世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交れば、言葉、よその聞きにしたがひて、さながら、心にあらず。・・・分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。」(徒然草75段)
世間に合わせ、人と交われば、損得計算ばかりして自分を見失ってしまう。
もっと強い口調で、むやみに人と交わることを批判した部分もある。
「人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。・・・及ばざる事を望み、叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、確かに知らざればなり。」(徒然草134段)
才能もなく人に好かれないのに、大勢の人と付き合おうとするのは恥。
叶わぬ願いを追い求め、人を恐れたり、人に媚びたりするのは恥さらし。
こんな無駄な欲を抱くのは、死が迫ってることを忘れているからだ。
兼好が自らを戒めるために綴ったのだろうか?
世俗を離れ、隠居したにも関わらず、人を恋しく思ってしまう。
「同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向かいたらんは、ただひとりある心地やせん。」(徒然草12段)
分かりあえる人なんているわけないと分かっているのに。。。
「ひとり、ともしびのもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」(徒然草13段)
「縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。」(徒然草75段)
そして兼好は読書へ逃避する。
己の理想は諸縁を絶ち、心静かに生きることなのだからと。
孤独が一番と隠居しながらも、やっぱり人が恋しいと思い悩む兼好。
孤独に向き合ったからこそ、人一倍、心が通じ合う相手が欲しいと願う。
「一期一会」的な心構えは、こうしたかたちでしか得られないと思うんだ。
だから無理に孤独を埋めようと、人と群れたり、人に媚びたりしていると、
ふいに遭遇する大切な出会いへの喜びが、半減してしまうかもしれないよ。
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