論理を積み上げて、複雑なこの世界を分かったつもりになる。
そんな大きな間違えの出発点は、17世紀半ばのデカルト。
なんて話を以前書いた。→ 論理的思考の再構築に向けて(11/05/16)
でも、デカルトが自らの思考法を説いた「方法序説」を再読すると、あれ?
4つの規則に従えば、あらゆるものを論理的に説明できると説いた部分。
- 即断と偏見を避け、明らかなもの以外は判断に含めないこと
- 難問をより多く、よりよく解くために問題を小さく分割すること
- 最も単純なものから最も複雑なものへ階段を昇るように進むこと
- 全体を見直して、何も見落としていないことを確信すること
1~3が、いわゆる論理を積み上げ、真実に迫ろうとする姿勢だけど、
4は人の力ではどうにもならないから、ここで一気に崩壊する。。。
でも「見落としがない」って高慢さが、論理的な美しさを求める原動力?
私も過去・現在の分析が、未来の予測につながると信じた時期もあった。
未来学は存在しなかった(11/09/22)と、今年になってようやく割り切れた。
人生もまた同じだ。
努力を積み上げれば成功に近づく、なんて欲を出せば生きづらくなるだけ。
「運命の出会い」の魔法がかかっている時だけ、努力と成功は握手する。
そんな話もスティーブ・ジョブズの講演に絡めて書いたとおり。
→ 過去のすべてが肯定される瞬間(11/07/12)
そして今、私が興味があるものといえば…
「ユメ(夢)とウツツ(現実)」、「ウツ(空・虚)とウツツ」の間に真実がある?
そんな「間」を大切にしてきた日本の文化を追いかけてる。
投資家に続く、次なる「家」系の肩書きは、「日本文化研究家」がいいな♪
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