約10年前に日本でもブームだった論理的思考(ロジカル・シンキング)。
17世紀半ば、デカルトにはじまる近代合理主義のなかで生まれ、
20世紀のパックス・アメリカーナの時代に地位を確立したものだと思う。
現在・過去・未来のできごとのほとんどは、論理の力で解明できる。
とくに経済や経営の分野で、アメリカの大学が世界を啓蒙しようと試みた。
冷戦後の10年間、世界の安定期には、それが正しいように見えた。
アメリカの考えが世界の常識、という幻想の中では、
論理を積み上げさえすれば、未来につながる時代だったのかもしれない。
21世紀に入り、IT革命によって世界が目まぐるしく変化する中で、
9.11テロや金融危機など、「100年に1度」が多発し、世界は不安定に…。
と同時に論理的思考は、過去に対する後付け解釈にしか通用しなくなった。
とはいえ、約350年の歴史を、いきなり投げ捨てるわけにはいかない。
進むべき道は、すでにドラッカーが示してくれている。
「デカルト以来、重点は論理的な分析に置かれてきた。これからはこの論理的な分析と知覚的な認識の両者が必要とされる。」
経済学では、人間は合理的な生き物である、という前提の上に、
数学的な美しさのみを追い求める時代は終わり、心理学との融合が図られた。
さびついた論理的思考がふたたび輝くには、心を取り戻す必要があるのかも。
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