学ぶことの意義/中江藤樹「翁問答」

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人口密集地ゆえにCOVID-19で身動きがとれず、茶番のような都知事選…。

私にとって東京に住み続ける意味はなんだろう?

よく考えても「美味しいものが食べたいから!」しか出てこなかった。
ならば移住するに適した場所はないものか?

ふと思いついたのが滋賀県だった。

京都に近く、食はもちろん、文化の探求にもなかなかの好立地。
図書館も充実しているようだし。→滋賀の図書館 貸出冊数なぜ多い(日経新聞)

そこで琵琶湖をぐるりと一周した去年の旅を振り返っていて、
もう少し調べてみたくなった中江藤樹について、こんな本を見つけた。

著者の姓が同じことに興味をひかれたのだが、藤樹との血縁は不明だった。

このなかで紹介されていた「翁問答」の言葉をいくつか。

学問とはなにか?

ある時、門人が藤樹に、世間では学問は儒者や僧侶がするもので、
武士にとっては役に立たないと噂されているがなぜですか?と問うた。

「それ学問は心のけがれをきよめ身のおこないをよくするを本実とす。」

学問とは心のけがれを清め、日常の行いを正すことに意味があるのだと。

そして学問には本物と偽物とがあり、

「にせの学問は博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名を高くせんとのみ、高慢の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、ただひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとめる故に、おおくするほど心だて行儀あしくなれり。」

偽物はくだらぬプライドだけのために、机上の学問に終始するものだと。

真の読書とは?

「文字を目に見、おぼえることはならざれども、聖人の書の本意をよく得心して我が心の鏡とするを、心にて心をよむと云って真実の読書なり。心の会得なくただ目にて文字を見、覚えるばかりなるをば、眼にて文字を読むと云って真実の読書にはあらず。」

「聖人の書」は当時では四書五経を指している。
今の私たちは幅広く古典と読み換えても良いだろう。

投資家が幅広く学ぶことの意義

「心のけがれをきよめ」るために学ぶ、という部分になんとなく共感。

株式投資をしていて難しいなと感じるのは幅広い教養を要求されること。

市場をまるごと買ってしまえば楽して投資リターンが得られるかもしれない。
でも私はたとえリターンが見込めても、たとえば軍需産業のような、
あからさまな悪にまで自らの資金が投じられるのは嫌なのだ。

しかし善悪の境界を見分けるのは無理で、主観や偏見にすぎないとも言える。
それでも学び、考え、実践し続けることが大切なのだ。

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