今も地元で愛される中江藤樹の教え

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琵琶湖をグルッと一周する旅の中で、
中江藤樹(1608~48)が私塾を開いた地にたまたま出会った。

高島市の「藤樹の里」という道の駅に立ち寄った際に、
あれ? 藤樹って内村鑑三「代表的日本人」に出てくるあの中江藤樹?
と辺りを見回すと、いろいろと関連施設があることに気が付いた。

  • 藤樹神社
  • 近江聖人中江藤樹記念館
  • 藤樹書院
  • 良知館

このうち記念館は定休日だったが、
たまたま命日に行われる「儒式祭典」の前日だったため、
藤樹書院で「神主(儒教の位牌)」を目にすることができた。

藤樹書院は1880年に起きた村の大半を焼き尽くした火災によって焼失するが、
村人達が自らの家財道具を後回しにしてでも、藤樹の著書などの遺品を守ったため、
現在まで残されているのだという。

そして藤樹書院に隣接する良知館は、町の人たちのボランティアで運営されており、
名声を得ても、この村を離れなかったことで愛され続けていることがよく分かった。

残念ながら中江藤樹に関する書籍・情報は少ないため、
藤樹書院と良知館で得られた藤樹の教えをまとめておく。

私塾の方針を記した直筆の写し

ご説明いただいたのだが、メモをしていなかったので、
後から見直すとやはり漢文は難しい。。。

致良知

人は生まれながらにして「良知」と呼ばれる美しい心を持っている。
しかしそれは欲望に覆われているから、絶えず磨き続けることが大切。
それを「致良知」という言葉で説いた。

五事を正す

五事とは「貌、言、視、聴、思」(ぼう・げん・し・ちょう・し)。

  • 貌…柔らかく、和やかな顔
  • 言…温かく思いやりのある言葉
  • 視…澄んだ優しいまなざし
  • 聴…心をかたむけてきく
  • 思…慈しみ思いやる心

日常においてこのようにできれば、良知に至っているのだと説いた。

愛敬

藤樹が講堂に掲げていた言葉。
孝経の「親を愛する者は人を憎まず、親を敬う者は人を侮らず」に由来。

亡くなる前年の漢詩

天上心なくして泰陽を生じ

人間意あって新正をよろこぶ

人間天上もと異なるなし

日用の良知これ至誠

昔読んだ本のメモ書き

なんの本で読んだ時のメモかは分からないが、
中江藤樹「鑑草」の一節として、メモしていたもの。

「幸せを願わない人間はいない。しかし、幸せとは何かという問いに的確に答えられる人は少ない。まず誰しも願うのが富である。しかし、富んでも他に心配事があるのでは真の幸せとはいわない。次に貴、社会的地位を高め出生することを願う。しかし、これも同様の理由で幸せとはいえない。富貴貧賤など真っ先に幸せの条件から落ちてしまう。つまり、人生の目標としては究極のものとは言い難い。幸福の種は、明徳仏性にある。この種をまいて、この幸福を作る田地は日常生活の人間関係にあり、つねに明徳仏性の心をもって人と接することにある。」

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