今日でブログをはじめて20年も経った。
株式投資の次に長く続いている活動の1つになった。
当初から世の中に伝えたいことがあるというよりも、
- 脳の外付けバックアップ装置として
- 自分だけの情報宇宙をつくるために
といった目的意識で続けている。
だから本来は公の場にさらすようなものではないのだけど、
20年前はメモを保管するクラウドサービスが存在しない時代。
当時はWordファイルを自分のPCに保存するぐらいしか、
文章をデジタルで残す方法がなく、振り返る際の検索性能は最悪。
それにバックアップを忘れてPCが壊れたらすべてが消えてしまう。
だからWeb上に載せてしまった方が、突然消滅するリスクが低くなり、
また同時期にGoogleが現れたことで、過去検索が便利になった。
つまり今のNotionやOneNoteなどのメモアプリの代替が、
20年前の私にとってのブログだったというわけだ。
こうして不特定多数の目に触れる場にメモを残すことになった。
その一番の副産物が学生時代から続く国語恐怖症からの解放。
中学受験時代、国語の成績が極めて悪く、当時の偏差値は、
国語40、算数70、社会70、理科60
という極端に凸凹で、国語はクラス平均点を1点以上下げるほど。
後に振り返るとサヴァン症候群に近い状態だった記憶も。。。
ここからの解放だから、とんでもない効果があったのは間違いない。
思いがけずブログを続けることによって得られた恩恵。
あのデカルトが同じように考えていたことに最近気が付いた。
「多少とも重要だと判断するすべてのことを、その真理の発見に応じて書きつづける、しかもそれを、印刷させようとする場合と同じくらいの周到な注意をもって書きつづけることが本当に必要なのである。一つには、こうしたことを十分に検討する機会をそれだけ多く持つためで、多くの人に見られるにちがいないと思うものは、自分のためだけに書きとめておくものよりも、つねにいっそう丹念に見るのは明らかだし、また考え始めたときには真実だと思われたことが、紙に書こうとするときには虚偽に見えることもしばしばだったからだ。」(デカルト「方法序説」P87)
人目に触れるかたちで考えを書き記すことは、
デカルトの生きた時代には一般人には縁遠いものだった。
でも今は何の障壁もなく、それを誰もができる。
そんな時代の恩恵を享受することのできた20年間だった。


コメント
ブログを20年間も続けてこられたとのこと、
素晴らしいです。
私も、自分の思考や日々の学びを自分のために記録しています。
ブログを始めて1年ですので、20年間の蓄積はすごいですね。
まろさんは、国語がお好きなのかなと思っていましたが、
実は国語恐怖症だったのですね、
ちょっぴりおどろきました。
これからも、ブログの先輩として日々、
学ばせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。