先日、妻が帰省ついでに熊本の装飾古墳館に立ち寄り、
そこでもらったガイドブックを持って帰ってきた。
パラパラめくっていて、なんだこりゃ?と首をかしげた。
ガイドブックを制作した2012年から2024年までの間に、
装飾古墳の数が変わったという修正の紙がはさまっていた。
新発見で増えていくのは分かるけど、千葉と神奈川はなぜ?
そんな疑問から装飾古墳に興味が湧いて調べたことのメモ。
ちなみに千葉と神奈川の装飾古墳数の減少の要因は、
- 古墳が重複していた(古墳の名称が変わったため、古い呼び名と新しい呼び名があり、ダブルでカウントされていた)
- 近年の調査などにより、装飾文様が確認されなかったため削除された
とのことだった。
装飾古墳の定義
上記の古墳数の変化について問い合わせた際、
学芸員さんが教えてくださった装飾古墳の定義。
- 古墳の竪穴式石室、横穴式石室の壁面、または石棺や石室内の区切り石・囲み石(石障・隔障)や石厨子などに彫刻または彩色により図文のほどこされたもの。横穴の壁面などに施されている場合、正確には装飾横穴の名称にすべきであるが、広く装飾古墳に入れることが普通である。(『日本考古学用語辞典』1992学生社)
- 装飾古墳とは主に埋葬施設に文様や絵画などの装飾を施した古墳を指す。横穴の入口外側の壁面に装飾を持つものも含めるが、埋葬施設内外面の全面、ないし一部に、単に顔料を塗っただけのものは含めない。(中略)壁画古墳も装飾古墳の一種である。(古墳壁画の保存と活用に関する検討会 装飾古墳ワーキンググループ報告 2014年文化庁)
面白いなと思ったのが太字にした壁画古墳の記述。
壁画古墳の代表例は高松塚古墳やキトラ古墳など、
超有名な古墳が含まれるようで、なぜ別の名称が?
河野一隆「装飾古墳の謎」
河野一隆「装飾古墳の謎」というちょうどいい本があった。
著者の見解では壁画古墳は装飾古墳とはまったく別物であり、
また装飾古墳が九州に多く、近畿にほとんどないのは、
石室の形状と棺が置かれる位置が異なるからという、
これまた興味深い話に出会った。
九州の古墳は装飾を背景とした棺が見える位置に棺が置かれ、
近畿の古墳は入口から見えない位置に置かれていた。
葬式の参列者から見て、飾られた死者と隠された死者の違い。
近畿の死者を隠すような、石室の形状や棺の配置は、
黄泉国神話にもとづく死生観が反映されていると著者は説く。
これまで古墳の形状や埴輪を愛でてばかりで、
内部の石室については、あまり関心を持ったことがなかった。
面白い話がいろいろ出てくるので今後も追いかけてみたい。
私が古墳に関心を持つようになったのは「はに丸」の影響かな。
コメント