社会は奇跡の場所-アラン「幸福論」

私たちは生きていくうえで、社会や人といろいろな関わりをもっている。
そして関わりが増えるほど、煩悩にとらわれ、苦しむことになる。
あるがままを受け止め、欲をそぎ落として、今この時を大切に生きる。
それが「無」に生きることであり、「仏」に通ずるということなんだろう。

もろもろの悪をつくらず、生死に著する心なく、一切衆生のために、あはれみ、ふかくして、上を敬い、下をあわれみ、よろづをいとふ心なく、願ふ心なくて、心におもふことなく、憂うることなき、これを仏と名づく。
---道元正法眼蔵」生死の巻

その道は険しいから、何もかも投げ棄ててしまいたくなる。
でも、逃げ出して手に入れた「無」なんて偽物だから、なんの意味もない。
禅の「無」は「なにもない」ことではなく「無限」の「無」なのだから。

日本人なら禅の教えを理解したいけど、ちょっとむずかしい。
幸福を創ることの大切さを説いたアランの方が分かりやすいかもしれない。

社会というものは、天気や風のぐあいで居心地がよくなったり悪くなったりする木陰のようなものではない。それどころか、魔法使いが雨を降らしたり、天気にしたりする奇跡の場所である。
---アラン幸福論」36章

みずから魔法使いとなって奇跡を起こし、気分を晴れやかに♪
アランは積極的な人生にこそ、幸福が宿ると説いた哲学者。

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。
---アラン幸福論」93章

「やってくる偶然」と「迎えにいく偶然」とが出会うセレンディピティ
今はなくしたけど、自分が探している以上のものが見つかったことがある。
あの頃は夢中で追いかけようとしたものがあって、ふと気がついたら…

でも「無心」や「奇跡を起こす魔法」は、修行や努力なしには得がたい。
それには体力と精神力がいる。まず健康でなければどうにもならない。
年明けからの不調を引きずって、ほとんど何もできなかったことを反省。。。

幸福論幸福論
(1993/02/19)
アラン
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