セレンディピティを呼び込むアブダクション

野家啓一「科学哲学への招待」を読んでいて、
ふと目に止まった一節。

「アブダクションの方法は「発見の論理」という観点から注目を集めており、また現代では「セレンディピティ(serendipity)」と結びつけて論じられることも多い。」(P124)

セレンディピティには並々ならぬ関心を寄せていて、
私の解釈では下記の2通り。

  1. 何かを探している時に探していたもの以上の発見してしまう。そんなふとした偶然や幸運を自分に引き寄せる能力。
  2. やってくる偶然とむかえにいく偶然が出会った時に起きる幸運とそれに気が付く能力。

人と人との出会いから、ノーベル賞につながるような発見まで、
この世のあらゆる成功にセレンディピティは見え隠れしている。

ではアブダクション(abduction)とは何か?
帰納法や演繹法では得られない創造の方法として、
チャールズ・サンダース・パース(1839~1914)が提唱し、
ノーウッド・ラッセル・ハンソン(1924~67)が定式化。

  1. ある予期していなかった現象Pが観測される。
  2. もし仮説Hを真とすれば、その帰結がPとして説明される。
  3. ゆえにHを真としてみる理由がある。

これって投資理論でよく見かける後付け解釈では?
でも新たな事象によって仮説が反証され、また仮説を立て…
この繰り返しにより、思いがけない発見があるということか。

かつて投資に関する学問・研究は、
「過去を必死に説明するだけで未来に無力」
おもいっきり失望したけど、
世界の真理に迫る方法論としては正しかったのかな。。。