模倣の幸運な出会いが発明を生む/タルド「模倣の法則」

運の良さだけは誰にも負けない!
そう思い込んで生きている私が一番気になるのが、
セレンディピティ(serendipity)」と呼ばれる能力。
これまでだいたい2通りの説明の仕方をしてきた。

  1. 何かを探している時に探していたもの以上の発見してしまう。そんなふとした偶然や幸運を自分に引き寄せる能力。
  2. やってくる偶然とむかえにいく偶然が出会った時に起きる幸運とそれに気が付く能力。

社会学の歴史的名著(1890年刊)、
ガブリエル・タルドの「模倣の法則
を再読しようと読み進めていたところ、

あらゆる発明は、ある知的な頭脳の内部で模倣の流れが幸運な出会いを遂げることによって生じる。ここで「幸運な出会い」というのは、ある模倣の流れがそれを補強する別の模倣の流れと出会うときのことであり、またある模倣の流れが強烈な外部の近くと出会うことで既存の観念を思いがけない側面から照らす時のことであり、あるいは、ある模倣の流れが自然な欲求にもとづく鮮烈な感情と出会うことによって、日常的方法のなかに思いがけない算段が見つかる時のことである。」P82

これで言うとタルド流のセレンディピティは、
「模倣と模倣の幸運な出会い」ということになる。
もしかすると私は無意識のうちに何かを真似ている?

  • 社会集団とは、現時点で相互に模倣しあっている人々の集団(P115)
  • 社会状態とは、催眠状態と同じく、夢の一形式(P126)
  • 社会とは模倣であり、模倣とは一種の催眠状態(P138)
  • 歴史とは、もっとも成功した事実の集合であり、もっとも模倣された発明の集合(P203)
  • 模倣は内側(思想・目的)から外側(表現・手段)へと進む(P290)

タルドの主張は上記のように何でもかんでも「模倣」。
だからあまり真剣に考えるとよく分からなくなってしまうが、

人間の本質や存在意義を「遊び」に見出したホイジンガは、
文化は遊びのなかに生まれ、遊ばれてこその文化だと説いた。
そして遊びには「模倣」の要素が満載なのは間違いない。

ふと思い出せば私は職業「遊び人」を主張している…。
やっぱり遊び心がセレンディピティを育んでいるのかな?