信貴山縁起絵巻の「空飛ぶ倉」に思う

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宇治拾遺物語をパラパラめくり「信濃国聖事」に目がとまる。
この一節は「信貴山縁起絵巻」で漫画化されているんだよね。
詳細はwikipediaを参照

信貴山の命蓮、山崎の長者、都の醍醐天皇の三角関係が、
政治経済を回しているような物語が描かれている。
長者が命蓮に寄進し、命蓮は天皇の健康を祈り、天皇は世を治める。

ここで面白いのが長者の米倉が空を飛ぶ話。

命蓮は日頃から法力によって、山の麓に鉢を飛ばし、
その鉢で長者から金品の寄付を受け取っていた。
ところがある日、長者が忙しさにかまけて鉢を放置すると、
米倉に放置されていた鉢が倉ごと信貴山へ持ち帰ってしまう。

広く世の中に目を向けず、私腹を肥やそうとすると、
すべてを失う可能性がある、という教訓も含まれているのかな。

日本の古典を追っていると、日本人の「富」に対する感覚は、
単なる資産を多さではない、別の価値観があったように思える。

新NISAをきっかけに、なんの美学や価値観も持たず、
お金を増やすこと以外に関心を持たない投資家が増えた気がする。

私も投資をはじめて数年間は同じだったからヒトの事は言えない。
でも投資リターンへのこだわりをいい感じで手放せるようになってから、
株式投資の周辺から生まれる幸運を、思いがけずつかむことが増えた。

特に若い人は積立投資でほったらかしたままで終わらせずに、
それをきっかけに経済やお金の流れを学んで、
逆に自分に投資させる方法を考えるくらいになって欲しいなぁ。

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