禅の思想が日本文化を席巻したのは、
足利義政(1449~73年)、雪舟(1420~1506年)のいた、
応仁の乱(1467~77年)あたりがピークだったのかも。
安土桃山時代に登場する著名な芸術家、
狩野元信・永徳、長谷川等伯、本阿弥光悦が
みんな法華教徒というのを知ってちょっとおどろいた。
応仁の乱後、荒廃した京都の治安を守るため、
町民が自衛組織を作り、法華宗の寺が軍事拠点として機能した。
禅宗の寺は洛外にあったのに対し、法華宗の寺は洛中に集中。
洛中法華21ヶ寺と称され、あの本能寺も含まれる。
軍事性を備えていたから信長が本能寺に宿を構えたんだよ。
こうして京都の町民と法華宗とのつながりができた。
一向宗(浄土真宗)は「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば何でもあり、
みたいなところがある一方、法華宗は厳格な教えがあるそうだから、
商人の倫理や信用を支える元にもなったんだろうね。
西洋で言うところのウェーバーのプロテスタンティズムだよね。
ちなみに洛中法華21ヶ寺の檀家を調べてみたところ、
- 妙覚寺…狩野家
- 本法寺…本阿弥家
- 本能寺…茶屋家(茶屋四郎次郎が有名)
が見つかった。
禅僧から法華教徒へと文化の担い手が転換し、
さらに南蛮文化が合わさって安土桃山アートが生まれるのかな。
※ちなみに江戸初期の尾形光琳、俵屋宗達も法華宗。
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