フランシス・ベーコン(1561-1622)といえば帰納法。
恥ずかしながら、それだけしか頭に残っていなかった。
あらためて高校生用の倫理の参考書を読み直すと、
世の中を帰納法で読み解くにあたっての前提として、
いかに偏見や先入観を取り除いていくかにも言及していた。
ベーコンは偏見をイドラ(idola)と呼び、4つに分けた。
- 種族のイドラ…人間という種族に共通する錯覚や偏見
- 洞窟のイドラ…個々人の性格や経験に由来する偏見
- 市場のイドラ…噂の信憑性を確かめもせずに信じる偏見
- 劇場のイドラ…権威あるものを無批判に信じる偏見
種族のイドラ。
私たちが「客観的」だと信じている、この目に映る世界は、
世界全体から「主観的」にある一部分を型抜きしたものにすぎない。
にもかかわらず、人間を尺度にして世界を捉えようとしがち。
最近、鳥も言葉を話していたのか!と驚いたのも、これと同じだ。
洞窟のイドラ。
誰しも洞窟から外を覗き込むような視点で世の中を眺めてしまう。
この呪縛から少しでも離れて、どうやって大局観を養うか?
主に将棋の羽生善治さんの著作を通じて考え続けるテーマのひとつ。
市場のイドラ。
多くの人が集まる市場での噂。まさに株式市場の話のようだ。
「市場参加者の話では…」みたいな報道がその良い例だと思う。
そういえば兼好法師も世間の噂は嘘ばかりと斬っていた。
劇場のイドラ。
専門家とは本来、その分野を深く理解しているがゆえに、
誰もが分かる言葉で伝えることができる人のことを指すはず。
専門家にも本物と偽物がいて、それを見極めるには、
様々なものを学び、自分なりの価値観を磨く必要がある。
400年前にここまで簡潔にまとめられていたとは!
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