手で文章を書くことは考えることだった。

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先日、縦書きで文章を書くことは、日本人の創造性の源だったのかも
なんて覚え書きをしたのだが、手書きについて、さらに気になったこと。

今では文章を手書きするなんて、そんな面倒なことやってられない。
キーボードで入力するよりも時間がかかるし、同じ量を手書きしたら手が疲れる。
でも、その時間的・肉体的な負担が「書きながら考える」ことに繋がったのでは?

インターネットが当初期待されていたような、知が集積する場とならなかったのは、
熟慮の末に生み出された文章の割合が圧倒的に少ないからなのでは? 
キーボードを打ったり、画面を触るだけで、簡単に文章が書けてしまうから、
文章に知が宿りにくく、暴言やベタ褒め等の短絡的な感情が表れてしまう。

だからといって、手書きの時代に戻るわけにもいかず、
文章作成の際に私たちに考えさせる仕組みをシステムに内包するしかないのかな。

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