タイトルに惹かれて
藤田正勝「日本文化をよむ」を読んだ。
5つのキーワードを通じて日本文化の根底に迫る内容だが、
親鸞の部分がなんとなくズレてしまっている印象だった。
- 西行の「心」
- 親鸞の「悪」
- 長明と兼好の「無常」
- 世阿弥の「花」
- 芭蕉の「風雅」
本文から察するに、著者は親鸞ではなく道元にしたかったのでは?
でも道元にキーワードを付けるとすると「禅」になってしまい、
他のキーワードとのバランスが崩れてしまうから親鸞になった?
それならキーワードにこだわらず人物に着目して、
日本文化の礎を築いた偉人を編集するのがおもしろいかも。
次回の電子書籍のネタとして、私の考える三大偉人を編集してみた。
紀貫之
日本文化の特徴は海外の文物をそのまま受け入れるのではなく、
独自の編集を加えて自分のものにしていくところにある。
たとえば「たらこスパゲッティ」や「カレーライス」のように、
本場の雰囲気だけ残した料理を思い浮かべると分かりやすいだろう。
その源流を求めるなら、やはり日本語の成り立ちだろうか。
古代日本は固有の文字を持たない無文字社会だった。
そこへ弥生~古墳時代に中国からの移民が漢字を日本へ持ち込んだ。
当時の日本人は渡来人の漢字の発音と自分たちの発音をつき合わせ、
漢字一文字に和音をあてて「万葉仮名」を生み出した、とされている。
やがて「万葉仮名」から「平仮名」が生まれるが、
「真名(漢字)」に対し、あくまで「仮名」は「仮」のもの。
今風に言えば、グローバル・スタンダードは「真名」の時代。
一段下に見られていた「仮名」混じりの和文を
古今和歌集の序文や土佐日記に残した人物が紀貫之。
歴史上、公的な文章に平仮名が登場したのは古今集の仮名序が初。
現在の私たちが千年以上昔の古典を読んで、ある程度の意味が取れるのは、
このときの貫之の試みが原点にあると考えられないだろうか。
西行
日本人が和歌や俳句に詠み、工芸品の意匠としてきた
月と桜。
それを狂おしいほど愛でたのが西行。
生前に和歌へ願いを込めたとおり、桜の咲き誇る満月の日に亡くなり、
願はくは 花のしたにて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
文化人の間で鮮烈な印象を残したことが当時の文献からうかがい知れる。
「入滅臨終などまことにめでたく、存生にふるまひ思はれたりしに更にたがはず、世の末にありがたきよしなむ申しありけり。」(慈円「拾玉集」)
満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散ることを人生に重ねあわせる感覚。
仏教的な無常観が日本文化に溶け込んでゆく転換点に西行がいたのではないか?
やがてそれは中世の文学・芸能における美意識を表す「幽玄」として現れる。
あえて隠したり、省いたりすることで、受け手の想像力にまかせる。
そうすることで、すべてが限りあるこの世界に無限の美を演出する。
これは後の世阿弥の能や夢窓疎石の枯山水、千利休の侘び茶に共通する美意識だ。
足利義政
日本文化に最も大きな影響を及ぼした人物は足利義政だと思う。
応仁の乱を招いた室町幕府8代将軍は、政治面では歴史上最悪の人物だが、
文化面に目を移すと、その貢献度合いは半端なものではない。
義政の凄さは文芸に秀でた者であれば、身分を問わず登用したこと。
義政が銀閣寺の作庭を命じた善阿弥は、河原者と呼ばれる最下層の出身。
こうして義政を中心に、多分野の才能が交わり、新たな文化が生まれていった。
また慈照寺東求堂の一室「同仁斎」は、
それまでの寝殿造と呼ばれる建築様式から、
近代の和風住宅のモデルとなった書院造への転換点と言える。
水墨画、和室、庭園、能、茶道、華道などなど、
現代に通ずる日本文化の原型のほとんどは室町時代に生まれているが、
そのほとんどに義政が関わった痕跡が見られる。
「日本史上、義政以上に日本の美意識の形成に大きな影響を与えた人物はいないとまで結論づけたい誘惑に駆られる。・・・史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。」(
ドナルド・キーン「足利義政と銀閣寺」)
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