足利尊氏、弱さの強さ/清水寺願文・梅松論

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室町幕府の初代将軍、足利尊氏は不思議な人。

湊川の戦い(1336年)で楠木正成を破って上洛し、
比叡山へ逃亡した後醍醐天皇の代わりに光明天皇を擁立。
その2日後にこんな願文を清水寺に奉納している。

140321足利尊氏・清水寺願文

この世は夢の如くに候。尊氏にだう心たばたせ給候て、後生たすけさせをはしまし候べく候。猶々とくとんせいしたく候。だう心たばせ給候べく候。今生のくわほうにかへて後生たすけさせ給候べく候。今生のくわほうをば直義にたばせ給候て、直義あんおんにまもらせ給候べく候。

建武三年八月十七日 尊氏

この世は夢のようなもの。
もはやこの世で望むものはありません。
私は出家しますので、来世の幸福をお与えください。
現世の幸福は直義(弟)に譲ります。直義をお守りください。

終わりに近づくにつれ、文字も小さく行間も狭まっていく。
内容だけでなく文字そのものも弱々しい尊氏の直筆。

でもそんな弱さに人を惹きつける魅力があったようだ。
当代随一の名僧、夢窓国師は尊氏を評して(「梅末論」)、

仁徳を兼ね給へるうえに尚大いなる徳有るなり。

仁徳を兼ね備えている上に、さらに3つの徳があり、

  1. 戦いに臨んでも微笑をたたえて恐れない勇気
  2. 思いやりがあり、敵をも憎まない寛容さ
  3. 富への執着がない

こんな将軍は末代まで現れないだろう、と語っていたという。

事実、尊氏は上記の清水寺への願文奉納の後、
政治の実権を弟の直義へ譲ってしまい、
所領の多くを功績のあった守護大名に分け与えてしまう。

また南北朝に分かれ、対立していた後醍醐天皇が亡くなると、
その菩提を弔うために、莫大な資金を投じて天龍寺を造営。

我に三宝あり、持してこれを保つ。

一に曰く慈、

二に曰く倹、

三に曰くあえて天下の先とならず。

慈なり、ゆえによく勇なり。
倹なり、ゆえによく広し。
あえて天下の先とならず、ゆえによく器の長となる。

ふと老子の一節を思い出す。

優しさゆえに、勇敢になれる。
つつましさゆえに、広い心を持つことができる。
野心を持たないからこそ、人を導く者になれる。

「弱い」と思われるものに、本当の「強さ」が潜んでいる
「弱さ」は決して「強さ」の欠如ではないのだ。

このことは日本文化の様々な局面で見え隠れするが、

まさにこれを体現した偉人が足利尊氏だった。

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