室町幕府の初代将軍、足利尊氏は不思議な人。
湊川の戦い(1336年)で楠木正成を破って上洛し、
比叡山へ逃亡した後醍醐天皇の代わりに光明天皇を擁立。
その2日後にこんな願文を清水寺に奉納している。
この世は夢の如くに候。尊氏にだう心たばたせ給候て、後生たすけさせをはしまし候べく候。猶々とくとんせいしたく候。だう心たばせ給候べく候。今生のくわほうにかへて後生たすけさせ給候べく候。今生のくわほうをば直義にたばせ給候て、直義あんおんにまもらせ給候べく候。
建武三年八月十七日 尊氏
この世は夢のようなもの。
もはやこの世で望むものはありません。
私は出家しますので、来世の幸福をお与えください。
現世の幸福は直義(弟)に譲ります。直義をお守りください。
終わりに近づくにつれ、文字も小さく行間も狭まっていく。
内容だけでなく文字そのものも弱々しい尊氏の直筆。
でもそんな弱さに人を惹きつける魅力があったようだ。
当代随一の名僧、夢窓国師は尊氏を評して(「梅末論」)、
「仁徳を兼ね給へるうえに尚大いなる徳有るなり。」
仁徳を兼ね備えている上に、さらに3つの徳があり、
- 戦いに臨んでも微笑をたたえて恐れない勇気
- 思いやりがあり、敵をも憎まない寛容さ
- 富への執着がない
こんな将軍は末代まで現れないだろう、と語っていたという。
事実、尊氏は上記の清水寺への願文奉納の後、
政治の実権を弟の直義へ譲ってしまい、
所領の多くを功績のあった守護大名に分け与えてしまう。
また南北朝に分かれ、対立していた後醍醐天皇が亡くなると、
その菩提を弔うために、莫大な資金を投じて天龍寺を造営。
我に三宝あり、持してこれを保つ。
一に曰く慈、
二に曰く倹、
三に曰くあえて天下の先とならず。
慈なり、ゆえによく勇なり。
倹なり、ゆえによく広し。
あえて天下の先とならず、ゆえによく器の長となる。
ふと老子の一節を思い出す。
優しさゆえに、勇敢になれる。
つつましさゆえに、広い心を持つことができる。
野心を持たないからこそ、人を導く者になれる。
「弱い」と思われるものに、本当の「強さ」が潜んでいる。
「弱さ」は決して「強さ」の欠如ではないのだ。
このことは日本文化の様々な局面で見え隠れするが、
- 日本では「弱さ」は「強さ」よりも深い(13/09/16)
まさにこれを体現した偉人が足利尊氏だった。
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