今晩は中秋の名月ということで、
藤原定家が詠んだ旧暦八月十五夜の月の和歌を探してみた。
しかし定家の自選和歌集「拾遺愚草」約2,700首のうち、
詞書きから中秋の名月の歌と分かるのはたったの4首。
その一方で九月十三夜の月歌は数多く、昨年も調べたとおり、
という傾向がかつての月見だったのかもしれない。
ただ次の二首は順に1204、1215年の中秋の名月に詠まれ、
後鳥羽上皇の治世が長く続くことを願う歌となっている。
宮中行事としての月見があったということだろう。
千世ふべき 玉のみぎりの 秋の月
かはす光の すゑぞひさしき
月きよみ 玉のみぎりの 呉竹に
ちよを鳴らせる 秋風ぞふく
後に後鳥羽上皇が承久の乱で隠岐に流されてしまうことから、
やはり中秋の名月には妙な怪しさがただよっている。
最後に定家が中秋の名月を詠んだ名歌として名高い一首は、
あけばまた 秋のなかばも すぎぬべし
かたぶく月の おしきのみかは
十五夜の今宵が明ければ、秋が半ばをすぎることを惜しんだ歌。
同時代の歌人、藤原家隆が定家の代表歌を問われた際に、
即答でこの和歌をあげたという逸話が残されている。
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