ゾロアスター教の二元論vs日本の「間」

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いつからか日本は極端な「善悪二元論」に走るようになった。

政治、原発などの難しい問題から、焼き肉屋のレバ刺しまで、
白黒はっきりつけることが正しいとは限らないのに。。。

「間」を大切にする心は一体どこへいってしまったのか?

善悪二元論の起源は古代ペルシアのゾロアスター教にさかのぼる。
光の神様を「アフラ・マズダ」、闇の神様を「アンラ・マンユ」と名づけ、
人間世界はすべて光と闇の善悪二元的な戦いであると説いた。

ゾロアスター教が古代ギリシアの自然哲学に与えた影響も大きく、
世界を人と神に切り分け、混沌を理性で支配する考え方にも見え隠れ。
そして神話をはじめ世界の物語に必ず見え隠れする善悪の対立。
ちなみに世界神話の母型を元に造られた映画が「スター・ウォーズ」 。

このように古代から現代まで二元論的な思考法が世界を席巻したが、
どういう訳は日本にはあいまいさをそのままにする感覚が残った。

その近年の成功例が、ハイブリッド車じゃないかな。
これからの車はガソリン車(ディーゼル車)か?電気自動車か?
と欧米が二元論に終始している隙に、トヨタがプリウスを発売した。

ハイブリッド車にも乗り遅れ、業績ボロボロのマツダが、
ゾロアスター教と深いつながりがあるのはなんとも不思議なご縁。

マツダのアルファベット表記”Mazda“が”Tsu”ではなく”Z”なのは、
ゾロアスターの光の神”Ahura Mazda“(アフラ・マズダ)に由来する。
もちろん社名の呪縛ゆえに「間」の心を失ったわけではないだろうけど、
エラリー・クイーンに倣って、ある意味「Zの悲劇」と言ったところか。

あいまいな中で編集を続け、新しいもの生み出すのが日本の特徴。
漢字、ひらがな、カタカナといった日本語の成り立ちが代表例。
あいまいの美意識が失われた日本は、歌を忘れたカナリア状態。
どんなにグローバル化が進んでも失いたくない日本の強みだ。

※参考…松岡正剛「17歳のための世界と日本の見方」P71-84

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