羽生善治さんの学習の高速道路論

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2006年から毎年ゴールデンウィークに再編集することを習慣にしている、
かつて将棋の羽生善治さんが語った「学習の高速道路論」。

2017年の「永世七冠」達成から、2018年はまさかの「無冠」へ転落。
27年9ヶ月ぶりの無冠という衝撃が走った後、書籍の出版が激減した。
世の中って本当に現金なものだね。。。
長らく年に1度の更新を続けてきたこの記事も2021年でいったんお休み。

学習の高速道路とは?

初出は2006年のベストセラ-、梅田望夫ウェブ進化論」。

ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走りぬけた先では大渋滞が起きています。

ITとネットの進化で将棋が強くなるために必要な

  • 定石の研究成果
  • 棋譜のデータベース
  • 終盤のパターン

といった情報を誰もが共有し、学ぶことができる時代になった。
このことを羽生さんは「高速道路が敷かれた」と表現し、
この高速道路は将棋に限らず、様々な分野で日々敷かれ続けている。

大渋滞を抜けるために必要なものは何か?(梅田望夫氏の考察)

この時点では「大渋滞を抜けるためには何が必要なのか」答えはない。
2007年11月に出版の「ウェブ時代をゆく」で梅田氏は次のように考察する。

大渋滞の先でサバイバルするには、大渋滞を抜けようと「高く険しい道」を目指すか、大渋滞にさしかかったところで高速道路を降りて道標のない「けものみち」を歩いてゆくのか、2つの選択肢があると私は思う。そのどちらの道を目指すにせよ、自らの「向き不向き」と向き合い、自らの志向性を強く意識し、「好きを貫く」ことこそが競争力を生むと私は考える。

大渋滞に巻き込まれ、その他大勢の存在として埋没しないために、
どんな道を選ぶにせよ、「好きを貫く」精神がポイントだと説いた。

そして2009年5月出版の「シリコンバレーから将棋を観る」では、
「好きを貫く」から、もう一歩踏み込んだ表現になっている。
羽生名人、佐藤棋王、深浦王位、渡辺竜王と将棋のトップクラスと接し、

超一流 = 才能 × 対象への深い愛情ゆえの没頭 × 際立った個性

という方程式を示した上でこうまとめた。

「知の高速道路」が敷設され、癖のない均質な強さは昔に比べて身につけやすくなった。しかし「高速道路を走りきった後の大渋滞」を抜けるには、加えてこれらの三要素が不可欠なのだ。特に「際立った個性」の強さが、最後の最後に紙一重の差を作り出す源となるのである。そしてそれは、どんな分野にもあてはまる普遍性を有する。私は、これからの時代の「超一流」を目指すとは、突き詰めればこういう事なのではないかと思うに至ったのである。

高速道路によって失われる個性と創造性

高速道路がひかれたことで、将棋の研究が高速化した現代。
羽生さんは梅田望夫氏との対談(2012)のなかで、

形によってはもう中盤の終わりとか終盤まで研究が進んでいて、変な言い方ですけど、ちょっと途方に暮れている感はあります。・・・研究段階だけでほとんど勝負の結果まで見えてしまうとか、あとはもう分析するだけでどうかなるとか、そういうケースも増えてきています。それだけの将棋っていうのは、方向性として正しいのか?と感じることがありますね。どうしたものかな…と。

おそらくそれは脳科学者・酒井邦嘉氏との対談(2013)で語った、
チェスのように将棋から創造性が奪われる危機感なのだろう。
人工知能が将棋よりも先んじて普及したチェスの世界では、
21世紀に入ってから人間が自力で発見した画期的な手はないと言われている。

いまは情報があふれていて、情報は押さえておかなくてはいけないけれども、逆にその情報が邪魔して創造的なことができないということが起こります。・・・最近の傾向として、定石は進歩していますが公式戦ではもうあまり指されません。つまり、定石は結論が出たら終わりですから。・・・ロマンチックな部分がだんだんなくなりつつあります

また「人工知能の核心」(2017)では新たな問題提起もしている。

自然界では、むしろ生物の個体それぞれが遺伝的に多様性を持つことが、進化の鍵となっています。とするならば全員が同じ選択をすることは、むしろ全体から見ると、多様性が失われていて、かえって進化が止まってしまう気もするのです。

創造性が失われることは多様性が失われることでもあり、
それによって私たちの進化が止まってしまうのではないか?
すでに最近の対局の中で気になることも起きているという。

私が最も強く懸念しているのは、この「学習の高速道路」を走るなかで、大量の情報を得ることに追われて、かえって自分の頭で課題を解決する時間がなくなっていくことです。実のところ私は、今の若い棋士たちの、未知の局面に出合ったときの対応力が少々落ちている気がしています。

大量の情報に埋没せずに自分の頭で考える力をつけるにはどうしたらいいのか?

作家・沢木耕太郎氏との対談(2015)では、 自らの過去を振り返り、
一見無駄に見える努力が大切だったのではないかと考察している。

今ではインターネットで棋譜のデータベースにアクセスできるが、
かつては将棋連盟へ出向いてコピーをもらう必要があった。

行き帰りの電車の中で過ごす時間や、棋譜を整理するために手を動かしている時間が、実は考えを熟成させて、本質的な理解を深めるために、役立っていたんじゃないかと。

またノーベル賞学者の山中伸弥氏との対談(2018)のなかでは、

たとえば私も「若い人たちに何かメッセージをいただけませんか?」と聞かれることがあります。そんなときには「今まで自分がやったことがないとか、経験したことがないとか、そういう羅針盤が利かない状況に身を置くことが大事なのではないでしょうか」と答えることが多いんですね。

2000年代前半は「見たいものが見れる」と期待を集めたインターネットは、
今では「見たいものしか見ていない」自分好みの無限ループの世界に変わった。
そこで思考停止に陥らずに、いかに抜け出すかが大切な時代なのだ。

羽生さんの強さの秘訣は継続と直感。その根底には・・・

継続する力

羽生さんは学習の高速道路がひかれる以前も以後も変わらぬ強さを保ち続けている。

その強さの秘訣がどこにあるのかを振り返ってみると、
やはり「決断力」をはじめ著書の中でくり返し説いた「継続する力」だろうか。

才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続すること

その姿勢は永世七冠を達成して今後の目標を問われた時の言葉にも現れている。

記録としてのものを目指していくのもあるんですが、将棋そのものを本質的にわかっているかというとまだまだです。これから自分自身強くなるかわからないが、続けていく中で、これは今まで知らなかったというような、何かしらの発見、進歩を指していく中で感じ取れたらなぁと。

直感

また「直感」の重要性についても説き続けているのが特徴で、
2012年に出版の「直感力」ではこのように語っている。

多面的な視野で臨むうちに、自然と何かが沸き上がってくる瞬間がある。・・・ある瞬間から突如回路がつながるのだ。この自然と沸き上がり、一瞬にして回路をつなげてしまうものを直感という。だから、本当に見えているときは答えが先に見えて理論や確認は後からついてくるものだ。

強さの秘訣は継続と直感。

その根底には羽生さん自身の次のような人生観や考え方があるのではないだろうか。

人生に意味や目的を強く求めない

たぶん、意味も目的も、あまり正面から向き合い過ぎないことが大事なんじゃないでしょうかね。うん。すべてに真正面から向き合ったら、きっと何もできないですよ。最後は『これも意味がない、あれも意味がない、何をやってもすべて無意味だ』となっちゃって……。だからまあ、ほどほどに、適当に向き合って、でいいんじゃないですかね。」---超越の棋士 羽生善治との対話(2018)

未来に対して確固たる理想や目標を持って進もうとするのではなく、
まずは目の前の現実に意味を求めず素直に受け入れ、それに順応していく。

またチェス、哲学、人工知能、脳科学と様々な分野に知的好奇心を広げるが、
それを将棋につなげようという明確な目的があるわけではない。

将棋以外の活動がどう作用しているか、はっきり筋トレしたら筋肉つくとか分かりやすいことではなくて、効果がどう出るか分からないけど、自分なりに工夫していくってことなのかな。」---NHK「羽生善治 天才棋士 50歳の苦闘」(2021)

純粋に考え続けることを楽しんでいるのだ。
こうした姿勢は荘子が説いた「不測に立ちて無有に遊ぶ者」の姿そのものだ。

考え続けることへの喜び

幸せとは、一箇所にとどまって、これで幸せというものではなく、現在進行形で動き続けているもの、変わり続けているもの。変わり続ける中で、新しい発見があるもの。やりがいを感じることや充実感があることを見つけ続け、探し続ける、そのプロセスです。」---結果を出し続けるために(2010)

なんとかわかりそうだけれどもわからないことが、一番楽しいんです。もう絶対無理という難題は、普通、あきらめてしまいます。でも、あと10分、20分頑張って考えればわかるんじゃないか、というところまで考えて、なおかつわからないということが楽しいんです。」 ---勝ち続ける力(2011)

人の脳は規則性を見出して型にはめるのが好きだから、
夢や目標がないと生きていけないような錯覚に囚われる。

そんなしがらみから解き放ってくれるのが、

  • 分かりそうで分からないことに出会い、
  • それを考え続けることで変化を楽しむこと

なのではないだろうか?

投資の世界で高速道路と向き合って

ITとネットの進化によってひかれた高速道路。
資産運用の世界では「プロ」の壁が崩壊するきっかけとなった。
今や個別株投資ですら、社長に直接会えるかどうかくらいの差しかない。

この高速道路をうまく使い、リーマンショック以降の株価上昇に乗ることで、
資産を大きく増やした個人投資家も数多くいることだろう。

でも羽生さんが海洋冒険家・白石康次郎氏との対談集(2010)で語ったとおり、

道路がなければ、てくてく歩いていくしかないと思えるけど、目の前に高速道路があったら、みんなそれに乗って、どんどん、先に行っちゃう。でも、本当にその先にすごくいいものがあるのかというと、実はゆっくり行ったほうが楽しいものが見えるんじゃないか、と思ったりもします。

早くに資産形成に成功したことで果たして「その先にすごくいいものがあるのか」?
これに対する私の正直な想いはかつて語ったとおり。

「人としての成長」と「資産の成長」のバランスが崩れたような違和感があった。

その後は古今東西の古典の助けを得ながら自分なりの人生観が整えて、

お金になるかどうかは気にせず、今後が楽しくなりそうな選ぶ。
そして遊び心を持って、豊かな時間の使い方をすることが、
思わぬ幸運を引き寄せる力になると信じて生きている。

また「学習の高速道路」という言葉が目をひいたあの頃は、
インターネットは「知」を解放し、輝かしい未来を約束するものだった。
しかし本当に私たち1人1人の視野を広げるものなのか…

羽生さんの感じているよう創造性の敵になりつつあるのかも。
それに今の世の中、スピードや効率化だと、なんだか味気ない。

渋滞に巻き込まれる人生も、にぎやかで楽しいかもしれないけど、
私は群れるのが苦手だから、別の方法を模索し続けている。

世間と距離をおくことで、自分なりの世界を読み解く方法を見つけたい。
そしてお金になるかどうかで見捨てられた価値観を大切にしたい。

コメント

  1. aosagi39 より:

    貴見にまったく同意です。
    私の本職の画像診断は、IT化の急速な進行で、この10年で大きく変貌を遂げました。大量の情報をスパスパっと裁き、あたかもデイトレーダーのごとくマルチモニターシステムに表示される刻々と変動する画像情報に向い、短時間で判断を迫られるデジタル的な仕事なのですが、むしろ職人芸性が年々高まる傾向にあります。
    一見どんくさく、仕事は遅め。多少寄り道してでも、じっくり、ゆっくり、想像力を膨らませながら考えるタイプの方が、最終的な到達点は高く、周りからの評価も徐々に高まっている気がしますね。
    結果がすぐに出なくても、焦ることはないです。
    あきらめず継続することが第一条件
    ”残り物に福がある”経験も、人生を重ねるたびに増えてくるものですよ。

  2. 名もなき一般民 より:

    著名な人たちの言葉はもちろん勉強になります。
    でも最後の一文のまろさんの言葉が一番共感できます。

  3. まろ@管理人 より:

    aosagi39さん、いつもありがとうございます。
    これも羽生さんの言葉ですが、
    「才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続すること」
    私はあきらめが早い性格ですが、ごくまれに離れられなくなるものに出会います。このブログもその1つかもしれません。
    名もなき一般民さん、お褒めいただきありがとうございます。
    私はただのんびり暮らしたいと願っているだけかもしれませんが…(笑)