美味しさには「ひとてま」は洋食の幻想?

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投資の世界は、努力と成果が正比例することはめったになく、
論理の積み上げよりも直感勝負で、半分くらいは運次第と思ってる。

だから自分で料理を作るようになって間もない頃は、
手間をかけた分だけ美味しくなることに感銘を受けた。
こんな経験は学生時代の試験勉強以来だなと。

あれから数年経って、家庭料理の本質を分かっていなかったから、
こういう考え方に流れていったのかな、と気付いたこと。

土井善晴さんが対談本「料理と利他」の中でこんなことを語っている。

「料理とはクリエイションである」という考え方と、「料理の最善はなにもしないこと、つまり素材を生かす」という、相反する考え方の両方を、私たちはもっています。前者は西洋料理的観念であり、後者は日本料理的観念と言えます。それは西洋の人間中心主義と日本の自然中心主義(観)の結果だと思います。後者は、かつてギリシャの思想にもあったそうですが、自然のなかにすでにあるものから取りだす(take)調理。それは、原初的な食事のスタイルで、日本ではいまだに失わずにあるものと考えています。」

「なんでも自分の思いどおりになると考えるのは、たとえばケーキとかパンのように、粉や液体のように正確に計量できるものを扱う世界。それでも厳密には同じじゃないんですけどね。それはヨーロッパの科学的思考で、いつも正確に分量をはかって、温度も適正で、ちょっとでも狂ったら違うものになるのは困るというのは、ロボット的ですね。日本は自然中心主義ですから、そこが違う。和食では、いつも変化する自然に、基準どおりにお願いしますって言えないでしょう。どうなるかわからないのが自然で、自分も自然の一部として変化することでしか対処できません。」

レシピ通り、色々足していってできあがるのは洋食的で、
それを日々の家庭料理で追求していたら疲れてしまうわけで。
家庭に必要なのは日本料理の引き算の美学

本格的な日本料理を念頭にすると難しすぎて嫌になるけれど、
調味料なんて測ったりしなくても、味を付けすぎなければ、
後から醤油や塩を足して食べればいいのが日本の家庭料理。

自然の食材を扱う以上、日々変化するものだから正解はない。
味見もしなくても「ええ加減でええんですわ」と土井さんは説く。

「美味しさはひとてま」というような、何かを積み上げた先に美味がある、
という哲学は、洋食のレストランに任せておけばいいのだ。

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