憲法に目を向けなければならない不幸

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実は大学は法学部だったので、

大学1年生の以来、約20年ぶりに日本国憲法を熟読した。

世間では憲法改正が話題になっているけど、ふと思う。

「そもそも憲法ってなんだろう?」と。

憲法前文の末尾にはこんな記述がある。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

憲法は私たち日本国民の「理想」を描いたものなのでは?

だから現実に「憲法」を合わせて改正、という発想は根本的に誤りで、

「憲法」に現実を合わせる努力をし続ける、という姿勢が正しいのだ。

この考え方に基づけば、

第9条は日本史の集大成として掲げられてしかるべき理想であり、

もしこの条文が厄介な存在に感じるようになったとすれば、

日本という国自体が、

  1. 理想の実現が不可能なところまで堕ちた。
  2. 短期的視野で自国の欲望を拡大しようとしている。

のどちらかといえるだろう。

首相にとっては内閣支持率が、個々の政治家にとっては選挙の当落が、

最大の関心事になってしまっている現状では、理想を追うのは難しい。

ただ戦後70年経っても、中国・韓国との関に火種が残ったままのように、

総理大臣のは政権与党からの転落、政治家は次回の落選、

という短期的な責任のとり方で済む問題ではないはずなのだけど。。。

何だか株式投資における株主の有限責任の問題に近いものを感じる。

もちろん政治は国民を写す鏡だから、なんとも言えないけどね。

憲法という理想の再考を始めた今は、不幸な時代かもしれない。

憲法が空気のように大切だが、意識はしない社会の方が幸せなのでは?

かつて掲げた理想に反するような出来事が起きていない証だから。

これからも多くの国民が憲法に無関心でいられる社会であって欲しい。

コメント

  1. サツク より:

    でも、私たちは関心を持ってしまった。
    まろさん自身は憲法を意識し続けて不幸に感じましたか?
    意識をしないようにして理想を貫くのではなく、
    みんなで考え続ける努力をすることが大切だと思いたい。
    まぁ良くも悪くも理想の旗を降ろさざるを得ない世界情勢になってきているので、不幸といえばそうかもしれませんね。
    だからこそ、つらい中でも人生を楽しんでいきたいですね。

  2. まろ@管理人 より:

    「不幸」というのはちょっと表現がいきすぎましたね。
    憲法を読もうと意識しなくても生きていける社会、
    を失って初めて分かる、その大切さを今ごろ気が付いた、
    という方が、私の心の内を正しく表現できているかな。

  3. 通りすがり より:

    “私のねらいは、読む人が直接に役にたつものを書くことである。想像の世界より、具体的な真実を追求することのほうが、私は役にたつと思う。これまで多くの人は、見たことも聞いたこともない共和国や君主国を想像のなかで描いてきた。しかし、人の実際の生き方と、人間いかに生きるべきかということとは、はなはだかけ離れている。だから、いかに生きるべきかということのために、現実を見落してしまうような者は、自分を保持するどころか、あっという間に破滅を思い知らされるのが落ちである。”(マキアヴェリ『君主論』より)
     憲法九条は貴い理想だけれど、国家という枠組みが残っている現在において、政治家が優先すべき務めというのは、憲法を護持することよりも国民、国家を守ることだと思っています。
     海の都の物語だったと思いますが、塩野七生氏がその著作の中で、強大国とは戦争も平和も思い通りに出来る国のことだといっていましたが、その定義にあてはめれば日本はおろかアメリカでさえも、もはや強大国ではないでしょう。日本は「理想の実現が不可能なところまで堕ちた」といえると思います。
     力を持たないものがどういう末路を辿ったかを思えば、安全保障に関する議論は本来、もっと活発に行われてしかるべきだと考えています。

  4. まろ@管理人 より:

    ご指摘の通り、第九条を掲げて70年やってこれたのは、
    ・日本がアメリカの庇護下にあり、アメリカが超大国だった
    ・東アジアの中で日本が経済大国として突出していた
    という土台が重要だったのでしょうね。
    世間では第九条が改正されたら日本が戦争をはじめる、というような。平和(第九条)と戦争の二択のようになってしまっているのが気になりますね。これではまともな議論が成立しない。。。