1963年に出版された「アメリカの反知性主義」。
この中で歴史学者リチャード・ホーフスタッターはこう語る。
「反知性主義は、思想に対して無条件に敵意を抱く人々によって創作されたものではない。まったく逆である。教育ある者にとって、もっとも有効な敵は中途半端な教育を受けたものであると同様に、指折りの反知性主義者は通常、思想に深くかかわっている人々であり、それもしばしば、陳腐な思想や認知されていない思想に憑りつかれている。反知性主義に陥る危険な知識人はほとんどいない。一方、ひたむきな知的情熱に欠ける反知識人もほとんどいない。」
知識や経験が害にしかならないこともある。
これまでも同種の記事を書いてきたけれど、
どの辺までが中途半端の弊害なのか分からない。
賢者と愚者は紙一重なのだろうか?
図解すればこんなイメージというのは分かるのだが…。
ただ読書の谷底については明白だ。
- 本屋で平積みされているビジネス書ばかり読んでいる
- Amazonのおすすめに流されて本を選んでいる
を読書と呼んでいるうちは谷底であえぐばかりで、
やがて自分好みの無限ループに陥ってしまうのだ。
もしかするとこの谷底は、
「学習の高速道路論」でいうところの
高速道路を抜けた先の大渋滞と同じと言えるかも。
となるとやはり賢者と愚者を分けるものは、
「好奇心」「未知を受け入れる寛容さ」
あたりが鍵になりそうだ。
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